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ことばに意味を与えるもの

先日、講演をさせて頂いた際の会場にペッパーくんがいました。

「ロボどっち?」という楽しげなメニューを選択すると「このあとオナラをするのはどっち?」という唐突な質問?クイズ?挑戦?をされ、今すぐにでもオナラをしそうな、機嫌が悪そうで腹巻をしたおじさんと、笑顔できれいなおねえさんのイラスト。

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まぁ普通に考えておじさんだろう、と素直に選択すると答えは

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おねえさんのほうだった。。ペッパーくんの表情も小憎らしいです。

からかわれているのか、人は見かけで判断しちゃいけないよ、おねえさんだっておならをするんだよ、というメッセージなのか。もやっとします。

人は「意外なこと」に対してあれやこれやと想像を巡らせます。

これがスマホのアプリだった場合と、ペッパーくんだった場合と、人だった場合では、多分もやもや度合いが全然違います。

スマホだったら「つまらん、意味わからん」となるのかもしれませんが、ペッパーくんだから「ちょっと深い理由があるのかも、なんか人の反応見てるのかも」となるし、生身の人間がこのなぞなぞ出してきて説明せずに立ち去ったら、「何か裏があるに違いない、自分に見えていない事実はなんだろう、この人は私に何を伝えようとしてるんだろう」とかいろいろ想像したりするんだと思います。

意図のない対話

そんな中で、最近知り合った方と、「文通」をさせて頂く機会がありました。

「文通」と言っても、便箋と封筒ではなくメールでのやりとりなのですが、これを「文通」と呼んだのは、特に目的のないことばのやりとりだったからです。

その文通は「これってこういうことなんでしょうねぇ」という雑感的なメッセージから始まったのですが、特に方向性のない言葉を投げかけられると、「この言葉には本当はどんな意図があるんだろう」とか勘ぐったりするわけです。

でも、次第にその方のことばにそれほど意図がないということに気づき、警戒が解けていきます。

評価も目的もない対話の中で、伝えることへの安心感が生まれ、普段であれば他人に伝えないであろう言葉や思いつきも、その方に「伝えても良い」と感じるようになりました。相手のことばに対して思いを巡らせ、自分の中に出てきた言葉をまた表現する。「説得しよう」「議論しよう」「良く見せよう」のどれでもないので、テーマも発散していくことができます。

そして、その発散した対話の中で、今まで自分自身が意識化していなかった思い込みや囚われのようなものが自然と浮かび上がってきて、勝手にその囚われから解放される、という思いもよらない体験をしました。そこには「解放しよう」という意図は、相手にも自分にも全くなかったのに、です。

「意図がなければならない」という病み

今思えば、証券会社でアナリストとして働いていた頃は、「結論は?」「ロジックは?」「目的は?」というのが常でした。会社の決算数値が出るなりプリントアウトして、上司のところに持って行くと即座に「株価へのインプリケーションは?」と聞かれます。その1-2分の間にできるだけ数字をインプットして、何らかの結論のようなものに辿り着いておく必要があります。投資判断は「どっちでもない」では役に立たないので「買い」なのか「売り」なのかを明確にする必要があったのです。

証券アナリストに限らず、今社会で働いている方は目的や結論を持って考えることが善とされていることが多いはずです。

こういう生活を繰り返していると、自然と「結論は?」「目的は?」という思考パターンが癖になっていきます。AなのかBなのか、と言いたくなる。癖なので、自分がそういう癖を持っていることにも気づきません。

人は「質問」には「答え」で。「主張」には「評価」で応えようとしてしまう習性があります。それが思考の幅を狭めてしまう。

でも逆に「意図がない」「決めなくていい」からこそ、可能になる思考があるのですよね。その思考が生み出すものもあります。「学び」はそこから生まれます。

文脈と意図と想像力が生み出す「意味」

ペッパーくんや文通の件を振り返って。

言葉は単体で意味を持つのではなくて、ペッパーくんが言うのか、先生が言うのか。ビルの屋上で対話するのか、森の中で対話するのか。意図を汲み取るのか、意図がない場で自由に対話するのか。置かれた文脈の中でどんな想像が働くのか、というところから意味が生まれていくということに気づきます。

その観点で、書籍や記事などの一方向の情報提供も個別化された「文脈」に欠けるため、人の想像力に働きかけることが難しいのです。単なる「情報」「言葉」で人に変化をもたらせるほどの意味を生み出せることは多くありません。

同様に人のカウンセリングとAI(人工知能)によるカウンセリングは、ことばのやりとりが全く同じであったとしても、人に与えるインパクトが全く違うはずです。ことばを受け取るときに、人が生み出す文脈とAIが生み出す文脈は異なるからです。また、人が生み出す文脈であっても、そこにどんな意図が存在するかによって意味は異なります。

cotreeのサービスは主にことばが力を持つサービスです。特にメッセージで相談するパートナー・プログラムは「カウンセラーとの文通」とも言えます。そこではことばの使い方はもちろんですが、文脈の生み出し方と意図の持ち方がとても大切になります。

文脈を受け取り、意味を生み出すのは個々の想像力です。人が良い想像力を持って、気づきを得られるような対話を生むために、インターネット上でどんな仕組みをつくっていくのか、想像を巡らせる日々です。