複雑化する社会と、地域包括医療と、メンタルヘルスケア

最近内田樹先生が、こんなことをつぶやいておられました。

  

ことたくさんの人を巻き込んだ仕組みづくりとかの話になると、個人レベルの細かいことを無視して「共通言語」を重視せざるを得ないので「単純化」せざるをえません。

価値aを持ってるAさんと、価値aと価値bを持ってるBさんと、価値cを持ってるCさんがいるときに、共通言語として価値aが社会的な価値軸として定められると、Aさんはありのままでいいけど、Bさんは価値bは社会的に認められづらくなるので価値bに沿った活動は減っていき、価値a寄りに変化する。Cさんは、自分の価値が社会的に認められないので、生きづらくなって、結局価値aに迎合せざるをえなくなる。ここでいう価値aは、今の社会で言うならば当然、資本主義の共通言語である「貨幣」と自然科学の共通言語である「エビデンス重視」です。

でもそれって、むしろ社会として「退化」してるよね(価値aを重視した結果、せっかく生まれた価値bや価値cなどの多様性が衰退してしまう)、複雑になることを選んでいかないと、社会として成長しないよね、という話のようです。退化とか進化とかの概念はともかくとして、少なくとも今までの社会では、この単純化の論理が働くことが多かった。

というのを前提に、最近はどんどん進んでいる社会の複雑化の事例の話。

学会で感じた「地域包括医療・ケア」の実態

先日とある学会にお邪魔した際のひとつのテーマとして、「地域包括医療」が盛り上がっていました。最近よく耳にする地域包括医療は、定義上はこんな感じ。

  地域包括医療・ケア(システム)とは

・ 地域に包括医療・ケアを、社会的要因を配慮しつつ継続して実践し、住民が住み慣れた場所で安心して生活出来るようにそのQOLの向上をめざすもの
・ 包括医療・ケアとは、治療(キュア)のみならず保健サービス(健康づくり)、在宅ケア、リハビリテーション、福祉・介護サービスのすべてを包含するもので、施設ケアと在宅ケアとの連携及び住民参加のもとに、地域ぐるみの生活・ノーマライゼーションを視野に入れた全人的医療・ケア
・換言すれば保健(予防)・医療・介護・福祉と生活の連携(システム)である
・ 地域とは単なるAreaではなく、Communityを指す

 (出所:全国国民健康保険診療施設協議会

なるほど、わかったようなわからないような。「結局どういうこと?」と言いたくなります。そんな気持ちで学会の発表を聞いていたところ、複数の登壇者のこんな発言。

「地域包括ケアは、それぞれに定まった定義はないくらいふわっとしている」
「地域包括ケアシステムは謎である」
「我々も地域包括ケアのどこに位置するんだかわからない」

 

ふわふわ… 謎… わからない…

誰もよくわかってない…!!

 

ということがよくわかりました。

というよりは、地域包括ケアは大事な考え方で、実現していかなければならない、ということははっきりしているんだけど、その全体像や方法論は説明しづらい。

ちなみに厚生労働省によれば

地域包括ケアシステムは、保険者である市町村や都道府県が、地域の自主性や主体性に基づき、地域の特性に応じて作り上げていくことが必要です。

つまり、地域の特性に応じて「最適な地域包括ケアシステム」のあり方が異なるので、「で、結局どういうこと?」という単純な理解がしづらい構造がある、ということです。ちなみに概念図がこちらです。

 

 地域包括医療の概念図(出所:全国国民健康保険診療施設協議会

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…複雑。

従来型の医療は「医師」が「患者」を治す、という二者関係のシンプルな構造でした。それが、その仕組みではどうもお金・人といったリソースが足りそうにないし、個別化したニーズを満たすこともできそうにない、となったときに「地域包括医療・ケア」という動きが生まれます。そして地域包括医療、となると、方法論や当事者が増えて、価値軸が増えて、人口とか関係性とか資源とかの変数も増えます。

今までの画一的な医療のあり方から、地域医療にシフトしていくというのは、近代社会の中で単純化した枠組みを「再・複雑化」させていくことでもあります。だから、単純化した仕組みをつくるよりも難しいし、つかみどころがなくて、「単純化」のプロセスよりも時間とエネルギーが必要なのでしょう。

全員にわかるように絶対的価値に基づいた定型を「定義」するよりも先に、モデルケースをいくつもつくっていく。そして自分のところに近いモデルケースを、それぞれが工夫しながらあてはめていく。その中には試行錯誤が必須で、間違えたり、失敗したりしながら、少しずつ複雑なエコシステムが育っていくのだと思います。

メンタルヘルスケアの世界の単純化と複雑化

心理療法の世界も、社会の単純化の流れとともに変化してきました。

一対一の関係性や個別の物語を重要視した、ある意味非効率で複雑な力動的心理療法から、エビデンスプロトコルを重要視し、相対的には効率的で単純化可能な認知行動療法へ、というこの数十年でのシフトはその象徴的な流れだったのだろうと思います。

cotreeはインターネットを活用したオンラインカウンセリングのサービスですが、一見すると今まで1対1の複雑な人間同士のつながりであったものをデジタル化するような、「心のケアを単純化する」という世界観に基づいているように見えるかもしれません。

まずは単純化した世界観をオンラインで再現する、という目下の課題も確かにあるのですが、将来的に目指すところは、心のケアの「再・複雑化」なのかもしれません。

今までにも「テクノロジーでできることはテクノロジーで代替する、その分、人にしかできないことを人が存分にできるような仕組みづくりをする」という言い方をしてきましたが、これって新しい技術や知見の蓄積や効率的な方法論の採用によって、一度単純化した心のケアを、再度複雑化することを可能にする、ということなのかな、と再認識しました。

つまり、限られた資源の中でも単純化されない個々人に最適なケアを、ひとりひとりの相談者に届けていく、というのが、cotreeが思い描く「いつか実現したい未来」でもあります。

自分たちだけで実現できるとも思っていないし、そんな壮大な絵を語るのが憚られるくらいにまだまだ小さな一歩を踏み出したにすぎないですし、cotreeがその複雑化した未来の中の一翼を担えるといいなぁ、くらいの感じではありますが、そのために今何ができるんだっけ、という試行錯誤と、地道で小さくて単純な作業に向き合う毎日です。

あんまりこんな抽象的なことを考えても、現実としてできることは限られているのですが。

社会の中でcotreeが果たす役割はなんだろう、という考え事の言語化として。

そして、一緒に試行錯誤してくれる仲間(cotreeのメンバーとしても、広く業界の仲間も)を募集しています。cotreeのメンバーとしては、今は特に、心理職の方を募集しています。ぜひご連絡ください-> sakuramoto@cotree.jp