健康の実践に関しては「学者<生活者」である。

この2年くらい、オンラインカウンセリングというメンタルヘルスケアサービスを実践しながら関連分野の勉強をしてみて思ったことがあります。

「健康」「心」「生きること」に関しては、学者よりも生活者のほうが「知っている」のだなぁ、と。

 

学問は、言語を介すほかに成立しえない。でも、健康や心や生きることは、言語化できないことの重要さがあまりにも大きいのです。その場合、言語化した瞬間に、失われる知や感覚があるのだと思います。

 

わたしたちは、「この栄養素をとると良いらしい」「こんな運動をするといいらしい」という研究結果に影響を受けてしまうことが多いのですが、多くの研究は、とても複雑な要素で構成される生活場面をシンプルな構造につくりかえて、擬似的に結論を導いています。

その研究結果で得られた小さな有意差をさらに「Aは良い、Bは悪い」という白黒に単純化して伝えられるのがメディアだったりもするのです。

その単純化されたモデルのうしろがわに、本当に重要なことが隠れていることは、特に健康の分野では多いのではないでしょうか。

 

どんなに太る原因を調べて、良い栄養素をとって、ダイエットをしようとしても痩せなかった人が、ポケモンGoで歩いているうちに痩せたりする。そういう、「学問の中では定義されていない因子」が、健康や心の世界では、大きな役割を果たすのではないかと思うのです。

 

だからといって学問の知を無視せよと主張しようとしているわけではありません。

自分が、あるいは自分の身体や心が、本当は知っていることを、もう少し信じて、意識を向けてあげることから、わかることがあるのではないか。

 

そう思って、最近は瞑想を始めてみました。

自分の感覚の解像度を上げていくのは、心地よいことです。

それでもダイエットはなかなか続かないけど。

ポケモンは、レベル21になりました。