いいかおと、いいサービス

先日、cotreeを使ってくださっているユーザーさんとそのお友達が、オフィスに遊びにきてくれました。チームのみんなにユーザーさんとしてのご意見をくださったあと、

「みなさんの、優しい雰囲気が伝わってきますね」

「中の人たちがいい顔してるから、いいサービスになっていくんだね」

と言ってくださいました。

嬉しくて思わず「そうなんです、自慢のチームです」と答えました。

不安と寂しさ

今は、本当に最高のメンバーと仕事ができていると感じています。みんなに支えられて、育てられている。

それを感じた出来事がありました。

いつも明るいメンバーから急に「ちょっと相談したいことがあるので、業務後にお時間ください」とチャットをもらいました。

「ちょっと相談したいことが」系のリクエストは内容がわかるまで本当に怖い。何か言いづらいことなんだろうか、もしかしたらあの仕事が負担なんだろうか、もしかしてやめたいとかそんな話だったらどうしようとか、ありとあらゆるネガティブな妄想が膨らんで心配になります。

大体のケースで心配したようなことが起こることはなく、その日、彼からの「相談」を無事に終えて、ほっとしながら戻ると、執務スペースには誰もいなくなっていました。

その瞬間に思ったのは

「みんなでご飯とかいっちゃったのかな。なんか寂しい。」

ナイーブすぎると思われるかもしれませんが、なんというのか、経営しながら日々大小の不安や寂しさと戦っている気がしています。

不確実なことばかりでどうなるかわからなくて不安だし、伝えられないことがあって寂しいと感じることもあるし。

経営者は孤独、という話はよく聞くから、そんなものなのかなぁ、とも。

でもその日、みんなどこ行ったかなと思いながら自分の席に戻って、ふと隣の部屋のホワイトボードに目をやると、そこには「cotree3周年、櫻本さん誕生日おめでとう」の文字。

それから音楽と、ケーキとお花と食事とcotreeのあゆみをかわいらしくまとめてくれたスライドと、みんなが出てきてくれました。その日は出社日でないメンバーたちもかけつけてくれ、1ミリも予想できなかった完璧なサプライズで、大好きなメンバーとお祝いする3周年と誕生日。

間違いなく私の人生のハイライトとして思い出す、最高に幸せな、満たされた夜でした。

 同時に、勝手に根拠もなく不安になったり寂しくなったり、ひとりで背負ってる気になったりしていた自分が恥ずかしくなりました。こんなにも支えられて、愛をもらっていることに改めて気づくことができた気がします。ありがとう。

f:id:mari-sakuramoto:20171027014822j:plain

3周年を迎えての思い

今までには、私の未熟さゆえに嫌な思いをさせてしまったメンバーもいます。コミュニケーションが足りなかったり、相手の思いに気づかず傷つけてしまったりしたこともあります。せっかくcotreeを選んでくれたのに、申し訳なかったといつも思い出します。

同じ失敗を繰り返さないためにも、たくさんの利用者さんに喜んでもらえるいいサービスをつくるためにも、チームのみんなに「cotreeを選んでよかった」と思ってもらうことが今の私にとって大切なミッションになっています。

だから、冒頭の「みんながいいかおだから、いいサービスなんだね」は最高の褒め言葉なのです。しかもそれをユーザーさんが言ってくれる、ということが、本当に幸せです。そう言われる会社、サービスをみんなで大きくしていくことが、まる3年を迎えての決意です。

そんなわけで、cotreeのリリースから3周年。わたしも35歳になりました。

みなさまに頂いているあたたかさをみなさまや社会にお返ししていけるように、cotree育てをがんばっていきたいと思っています。これからもどうかよろしくお願いいたします。

f:id:mari-sakuramoto:20171027014815j:plain

 

「わからない」でいることの価値

最近、twitterを再開しました。

今までも私的に運用してきたのですが、会社について、考え方について発信する場として、今回はちゃんと運用していこう、と思い、ときどきつぶやいています。 

先日、こんなことをつぶやきました。

このつぶやきの背景にあったのは、こんなデータです。日本学生支援機構のレポートより。

前回調査も含めた過去の調査において、学生相談に関する今後の課題として常に最上位に挙げられている問題は「悩みを抱えていながら相談に来ない学生への対応」であった。多くの学校の教職員や学生相談組織のカウンセラーが、支援の必要があるにも拘らず相談につながらない学生への対応のあり方を模索している様子を示す結果である。 

出所:大学教育の継続的変動と学生支援

ではなぜ、学生は相談に来ないのか。これは学生相談に限らずカウンセリングにも言えることだと思うのですが、忙しいとか恥ずかしいとか、そういうことの前に「わからない」ということが根本的な要因になっているように思います。

何をやるのか、なぜやるのか、相手はどんな人なのか、どんな場所でやるのか、いつやるのか、どうやるのか、どうなるのか。なんなら5W1H全部のイメージがわかないこともあるほどです。

だから、忙しければ行かないし、恥ずかしくても行かない。

別に忙しくなくても、恥ずかしくなくても、「わからない」問題を解決しないと行く理由がわからないので相談には行かないのではないか、と思うのです。

学生やクライエントに来てほしいと思えば、もっとわかりやすくする努力が必要なのではないか、と考えています。

その意味では、なんで臨床心理士のカウンセリングってわかりづらいのかなぁ、と思っていたのですが、過去の友人のツイートを振り返っていたら、こんなつぶやきを見つけました。

わかったような、わからないような。

ここで「わかった」と言ってしまうと負けな気がする(何に)ので、「わからないもの」に向き合ってみます。

「わからない」でいることの価値って何だろうな、と。

現代では社会的に「わかる」ことが推奨されます。わらかないよりわかるほうがいい。理解する、答えを出す、決める、勝つ、判断する。「わかる」ことは「わける」ことだと言われますが、わかって「わける」ことでビジネスは前に進んでいくところがあります。

やることを決める。やらないことを決める。どうやるか決める。誰とやるか決める。

世の中には意思決定や思考法の本が溢れ、わかるようになるために、ビジネスマンは日々意思決定の材料を集めたり、思考をプログラミングしたりしています。

そのほうが早く進めるし、遠くまで進める。ビジネスの世界にいると、そこに疑いの余地はないように思います。「経営者の役割は決断すること」というくらいに、その重要度は高い。

そのような価値観の中にいると「わからない」でいることの価値、と言われてもあまりピンと来ません。

わからないと、どんないいことがあるのか。

このことを、神田橋條治先生は著書「精神科診断面接のコツ」の中でこんな風におっしゃっていました。

この世に実在するものはすべて、輪郭のあいまいなものである。輪郭のはっきりしたものはすべて、実在しない抽象の産物なのである。実在するものは、隣との間いくらかの「ぼかし」で連なっている。明確な境界は仮象のものである。
輪郭を明確にするのは動きを止めるのに役立ち、輪郭を取っ払うのは動きを引き起こすのに役立つ。これはあらゆる心理的操作の基本である。

そもそもすべてのものは曖昧である、ということですね。輪郭は存在するものではなく、つくったり、取っ払ったりするものです。

不安定なものを安定させるためには、輪郭をつくることが役に立つことがある。

逆に、その輪郭により苦しさが生まれている場合には、取っ払うことで新しい解釈や可能性に開かれる。そんなことが、心理療法では行われているようです。

診断を保留することは、一つの疑問を、いやしばしば数個の疑問を蓄えることである。そして、通常、知的に豊かであるというのは、知識を蓄えていることではなく、疑問を蓄えていることなのである。

あわてて診断を決定してしまうことで、つかの間の心のやすらぎを得る行動の中に逃避し、疑問が解決したかのように思いこむのは、貧しさへの道であるかもしれないのである。

なぜなら、豊かな可能性をひめているかもしれない疑問を見据えることなく、とりにがしてしまうからである。

葛藤をそのままで持ち続けることが、精神にとって決定的な豊かさをもたらす。

「疑問を持っている状態」というのは「知ったつもりになっている状態」よりもずっと可能性に開かれています。問い続けることができるからです。自分が思い込んでいること、わかっていると思っていることの輪郭を取り払い、問い続けることで、新しい世界が見えてくることがある。

新しい世界は「見たことのなかった深み」かもしれないし「広がり」かもしれない。

私的な世界の中でそういう豊かな世界を持ち続けられないことと、精神的な貧困、生き方の貧困とはつながっているのかもしれません。

だから、拙速に「わかった」と割り切るのではなく、疑問や揺らぎを持ち続けることは、より豊かさや広がりを持って生きて行くうえで重要なことなのでしょう。

しかし、「わからなさ」「ゆらぎ」を持ち続けることに対して、現代の社会は「非効率」「無能」というレッテルを貼りにきます。社会に迎合して「わからなさ」「ゆらぎ」を捨てるようなことができず、社会に否定されながら生きていると感じる人にとっては、本当に生きづらい社会なのではないでしょうか。

その豊かさに確信を取り戻すためにも、今の時代だからこそ、臨床心理学のような「葛藤を持ち続ける」という知が必要になるのではないかと感じます。

臨床心理学のマーケティングと「わからなさ」

冒頭の「サービス提供者は「わからない」を減らす努力が必要だと思う。」というつぶやきに戻ります。

臨床心理学が「わからない」ことの価値を大切にしているから、と言っていいのかわかりませんが、臨床心理学の世界の先生方はけっこうマーケティングが苦手だし、好きでもない、という感触があります。ダイレクトなマーケティングメッセージ、つまり「ここに来るとこんなことができるよ、こんな風になれるよ」という自己啓発では言いそうな「わかりやすい言葉」をあまり使いません(臨床心理学もいろいろ流派があるので、一概には言えないですし、医療や教育などの制度の中では、全く違うロジックが働くのですが)。

それが日本の市場において臨床心理学的なカウンセリングが広がっていきづらいことの一つの要因だと思います。でも、それはそういう価値が臨床心理学において大切にされているということであり、誠実さでもあると感じます。

生きづらい人たちに臨床心理学を届けるために、もう少しその価値を一般に伝えていくためにやりようがあるのではないかな、と思うことがあるのですが、それを「中の人」がやっていくことは難しいのかもしれないとも感じます。

実際にクライエントと対面し、その価値の中にクライエントを巻き込む立場にある人たちが、クライエントに対して誠実であろうとするなら、彼ら自身の「あり方」を妥協することはできないと思うからです。自分の「あり方」と異なるマーケティング的な言語を使いこなすことは、とても困難な課題です。

葛藤の価値を大切にしながらビジネスをするということ

そんなことを考えながら生きているぐらいなので、当然のごとくわたし自身も葛藤を抱えがちで、経営をしながらメンバーに迷惑をかけてしまっていることも多くあります。私自身の「あり方」はどうしていけばいいんだろう、と悩んだりもします。

先日神田橋先生の言葉を引用しつつ「でも葛藤の価値みたいなことを考えながら、ちゃんと意思決定するのって大変じゃんね」とメンバーに弱音をこぼしたところ、すかさず

「神田橋先生の言葉はその通りですよね。でもそんなこと言っていたらビジネスは進んでいかないですから。ハレとケですよ。ハレはあったらいいですよ。でも日常は日常です」と即答。的確すぎる。

cotreeの企業理念は「人の体験する世界が、深まり、広がっていくことに貢献する」ことです。葛藤と向き合うことは、自分の世界を深めて行くことにつながる。誰かに助けを求めることは、自分の世界を広げていくことにつながる。そういう場を増やすことを、会社のミッションとしています。

「わからない」を大切にし、葛藤と向き合うことができる人や場を増やして行くというハレの価値の世界を目指しながらも、日々「ケ」の世界で、粛々と決めながら、わかった、ちがったと言いながら前に進むというのが我々のビジネスの日常であって、そこが臨床家のあり方とは違うところでもあり、ビジネスをやっている私たちだからこそできることなのではないか、と感じています。

わからないけど。

※採用強化中です。

 

 

ゆく人くる人

今週はとても濃い一週間でした。

いままでcotreeをずっと支えてくれたエンジニアのおぐらんが、今週火曜日を最後に本来のすみかに戻っていきました。

おぐらんは、私のふわっとした依頼をきちんと現実に落とし込んで、本当に必要なことはなんなのか想像したうえで「それならむしろこっちじゃないですか」と提案してくれて、無茶な仕事も忍耐強く、思いやりを持って、一緒にやり続けてくれました。

その間語りつくせないくらいいろんなことがありました。でもcotreeはおぐらんのおかげでここまでやって来れたなぁ、としみじみします。

最初は少しの期間だけ力を貸してもらうのはずだったところから、なんだかんだと3年以上も一緒にやってもらったことになります。

 

ようやくcotreeも自分たちだけで前に進んでいける体制になりました。 

今週から入ってくれたインターンの上嶋さんも、先月から入ってくれた木村さんも、自分で考えて積極的に提案し、取り組んで、気づきを共有してくれる様子がとても頼もしく。 

木村さんが初めて取材して書いてくれた記事が今週完成して、公開したり。

cotree.jp

 以前から登録してくださっている心理士の矢野さんのcotreeに関する記事が心理臨床学会の学会誌である『心理臨床の広場』に掲載されたり。 

f:id:mari-sakuramoto:20170908232856j:plainf:id:mari-sakuramoto:20170908232915j:plain

 コアメンバーでハイセンスな心理士の徳田さんはとてもハイセンスなフリーペーパーでcotreeに対する共感の思いを熱く語ってくれていました。会社の目指していることに共感して、自分の言葉として語ってくれている様子にぐっときます。

f:id:mari-sakuramoto:20170908232618j:plainf:id:mari-sakuramoto:20170908232630j:plain

 相談する文化を広げていきたいという考えに、すごく共感している。…会社の方針と自分がやりたいことがとてもよく一致しているから、そこでしっかりやろうと。

まっすぐな言葉に触れて、改めて大切なことに気付かされます。

 

ほかのみんなも、落ち込んだり元気になったり風邪ひいたりしながら、朝まで一緒に飲んだり、みんなでジムに行ったり、毎日何時間も議論したり、組織としてはカオスな感じがしつつも前向きで優秀で個性的で愛に溢れていて、

不安を抱えたときには必ずみんなしっかりお互いの話を聴いてくれて、話ができる、本当に安心できる仲間です。

全員で集まった飲み会には、以前手伝ってくれていたふたりも来てくれました。これからも何かあったときには声をかけさせてもらおう。というのは胸に秘めつつ、cotreeに少しでも関わってくれたことを心から感謝しています。

良い出会いが続いて、今週新たにcotreeに関わってくれることが決まった人も何人かいます。これも嬉しい。

 

このチームで楽しみながらがんばっていくためにも、おぐらんや今まで関わってくれた方々への恩返しの意味でも、cotreeのサービスをこれからももっと良くしていきたいし、会社としても経営者としてもちゃんと成長していきたい、と心底思います。

ちゃんと成長したいという気持ちとできるだろうかという不安は裏腹なのだということを痛感しつつ、このメンバーならきっと大丈夫、と信じられます。

 

「矛盾と不確実性を超えて現実を生み出すのは、弁証法的移行ではなく、情熱に結び付いた主体的決断である」とキルケゴールが言っていましたが、会社で起こることは不確実性の複合体すぎて、論理的に考えるほど前に進めなくなることもあります。

そうしたときに論理を超えるような情熱を持てるとしたら、「多くの人に価値を届けられたことを、チームのみんなで喜び合うこと」に対してだと感じています。「より良い社会にしたい」というほど壮大なテーマは、遠くにありすぎて情熱を持ち続けることが難しいけれど、一緒に喜ぶチームの輪が広がっていくことには情熱を持つことができます。

最初は会社と自分の人格が一致していたところから、今は会社という人格に移行しつつある時で、揺らぎの中でメンバーには迷惑をかけどおしですが、少しずつ会社としても組織としても育っていっている。それ以上に経営者としてみんなに育ててもらっています。

 

子育てはしたことないけど、経営と子育てはきっと似ているんだろうな、と。会社が育っていく様子や、会社でできることが増えていくのが嬉しい感じが似ている。それから、きっと子育てを通じて親が育っていく様子とも似ているのだろう、とイメージがわきます。

みんなが、選んで良かったと思える会社にしていきたい。

これからも楽しみです。

おぐらん、3年間ありがとう!

 

webサービスと依存について

一般的なwebサービスと依存

webサービスというのは、基本的には依存をさせればさせるほど儲かる仕組みになっています。占いにしてもゲームにしても、依存してリピーターになるほど良い顧客になる。だから多くの事業者が「いかに依存させるか」を競っています。

依存させるためには「できるだけ使いやすくする」「サービス利用への障壁を下げる」「また使いたくなる仕掛けをつくる」「心理的報酬を与える」などのように利用者が葛藤することなくサービスを利用するための仕組みづくりを目指すことになります。

会員登録しやすいフローをつくったり、1日1回ログインするとごほうびをあげたり、不安をあおったり、期待させたり、安直な答えのようなものを提供したり。

そういうものが、必要になることもあります。

カウンセリングと依存

一方で、依存的な仕組みづくりは、その人自身の「判断する」「耐える」「乗り越える」力を奪ってしまうことにもなり得ます。これはカウンセリングにおいて価値が置かれる「葛藤耐性を高める」「内省する」「不確実性に耐える」「自立的な人間を目指す」ということは大いに矛盾します。

安易に喜ばせようとすると力を奪ってしまいかねない。喜んでもらわないと使ってもらえない。カウンセリングのwebサービス運営者としての最大の葛藤の抱えどころです。

そんな中、とても勇気付けられたのが本日利用者さんから頂いたこんな声です。

f:id:mari-sakuramoto:20170803074545p:plain 

1年間、寄り添い親身になって見守っていただきました。実親との経験で成長できなかった部分を、疑似親として依存し反発し受け入れていただくことで、自分でもわからない内に大きく成長できていた気がします。本当に1年間ありがとうございました。実家に帰るような気分でまた活用させていただく日まで、独り立ちした学生のようにがんばって乗り越えていこうと思います

山﨑 文野(臨床心理士)に相談する - cotree(コトリー)

依存しながら、受け入れてもらうことで成長し、独り立ちしていく。

甘えて、弱さを受け入れてもらうことで勇気付けられて、成長への自信を得る。

最初は依存に見えるものも、そこに溺れさせるのではなく変化のきっかけに変えていく。

こんな価値が、私たちが本当に提供したい価値なんだと、あらためて感じました。より正確には、私たちが「cotreeを通じて」本当に提供したい価値です。

この声の宛先はカウンセラーさんであって、cotreeではありません。でも、cotreeという「場」を通じてこのような価値が生まれていくと良いと思うのです。

webサービスを運営している以上、それをたくさんの人に届けるためにやるべきことはやっていく必要があります。たくさんの人に届けるためには犠牲になるものも出てくるかもしれない。その矛盾の中で、葛藤に耐えながら、本当に大切なものを大切にしていく勇気を持ち続けるのは、けっこう大変なことだなぁと痛感する日々です。

でもいつも原点に立ち戻らせてくれて励ましてくれるのは、サービスを利用してくださった方からの、こうした声であるように感じます。

新生cotree、がんばろう。

 

近況報告+仲間を募集しています(採用強化中!)

7月になり新しいメンバーも入って、いいチームになりそうだなぁ、とわくわくしています。最近ブログも更新していなかったので、近況報告を兼ねて。

最近はたてつづけにcotreeに関わってくれる方が増えています。「人の心のあり方」に思いを持って関わっている人ばかりなので、とても優しくて、強くて、弱い。お互いの弱さに優しくなれるからこそ、重たい鎧を着なくてもいいんだ、という感じがします。

 

設立から3年が経ち、オンラインカウンセリングという領域ではどこにも負けないノウハウとデータが蓄積してきました。サービスを利用してくれる方も少しずつ増えて、法人での導入も進んでいます。今までに積み重ねたものを生かして、より多くの人に価値を届けていきたいと気持ちを新たにしています。

そういえばあまり大きな声で言ってなかったのですが、2月に3,000万円の増資も行いました。事業を加速させるため、楽しみながらがんばっています。

今日はいい1日だった!と思える人を増やすため、とても個性豊かな優しいチームで、新しいプロダクトの開発にも取り組んでいます。

一緒に働く仲間を募集していますので、関心のある方はぜひご連絡ください。

募集職種
  • UX/UIデザイナー
  • エンジニア
  • 企画・運営
  • 心理職
  • サポートスタッフ

週1~フルタイム、業務委託〜正社員まで、フレキシブルに対応可能です。

 

関心のある方は、sakuramoto@cotree.jp宛にご連絡ください。まずはお話しましょう。

最近お会いできていない方もぜひ気が向いたらご連絡頂けたら嬉しいです!

 

摂食障害の原因は母親にあるのか

「からだのシューレ」

文化人類学者の磯野真穂先生の「からだのシューレ」に参加してきました。

今回のテーマは「なぜ母親が原因に?―摂食障害歴史学」。

 

https://pbs.twimg.com/media/C8Exr4oVQAAey09.jpg

 

 「シューレ」とはドイツ語で「学校」、古代ギリシャ語で「精神を自由に使う」という意味だそうです。ゆるめの小鳥の絵がかわいい。

 

anthromap.blogspot.jp

 

摂食障害の原因は母娘の関係性にある、という言説を耳にすることがあります。実際に摂食障害の当事者からも「うちは機能不全家族だったから」といった語りが聴かれることは多いようです。

「それって本当?」と問いかけることから始まります。

摂食障害の原因はどこにあるのか

拒食症は14~16世紀のヨーロッパでは「聖なるもの」として認知されていました。それが、生物学・心理学の普及とともに「生物的な異常」「発達的な異常」「母子関係の不全」に変化し、日本では母親の関わり方に原因があるとする「母原病」として語られるようになりました。

また、日本では「子供の問題行動の原因は小さい頃に母親が一緒にいなかったことにある」という3歳児神話も、厚労省が「無根拠」と発表しているにもかかわらずまことしやかに語り継がれています。

一方、このように語り継がれるのは日本特有の現象で、シンガポールでは摂食障害が母子関係に還元されることはありません。摂食障害の問題はむしろ西洋文化やメディアからの影響の強さとして捉えられ、「母親に原因がある」といった語りはほとんど見られないのです。

この違いを生むのは何か、と考えると、「父親が働き、母親が家で家事をする」という日本特有の経済発展のあり方、文化的背景、政治的な現実が介在していることがわかります。「摂食障害母原病である」という物語はあくまで文化固有のものののようです。

 

https://pbs.twimg.com/media/C8FFWk-UwAAv9H1.jpg

文化的な物語に自分を押し込める当事者

それにも関わらず、臨床の現場では、摂食障害の当事者は文化のつくりだした「母原病」という物語を自分の物語として語るようになります。誰かに与えられた「自分が摂食障害になったのは、母の愛が足りなかったからだ。」という物語の中に自分を入れ込み、一般的な言説のコピーのような語りが生まれてきます。

そして「物語るために病気を必要としてしまう」というジレンマに陥り、出口のないループに入ってしまう、ということが起こっているようです。その与えられた物語自体が、真実かどうかを疑うこともないままに。

 

ワークショップの最後に

今を語ることは過去と未来を語ること。

過去を語ることは今と未来を語ること。

未来を語ることは今と過去を語ること。

わたしたちは常に未来への道筋を持って生きていて、それぞれの物語を持っている。病気になると、今までの物語が崩れて、過去と未来を結び直す新たな物語を紡ぐことが必要になる。

その人にとって生きる意味のある物語になるよう、人がつくった物語に乗るのではなく、自分の人生を自分の言葉で語る勇気を持ってほしい。

こんなメッセージを頂きました。

 

生き方がうまくいかないとき、わたしたちは過去の「原因」を探そうとします。母親に愛されなかったから。自分の能力が足りなかったから。あのときの選択が間違っていたから。そうすることで今の苦しみに理由を与えることはできます。

しかし、その過去の物語は誰かによって与えられた物語かもしれないこと、そしてそれは現在と未来をも語る力を持つということに自覚的でなければいけません。与えられた物語に自分の人生を支配されるのは本当にもったいないことです。

未来語りのダイアローグ

だとしたら物語を語り直すやり方には例えばどんなものがあるんだろう、と考えていて、ふと最近関心が高まっている「未来語りのダイアローグ (anticipation dialogue)」を思い出しました。

kokucheese.com

未来における望ましい状態ついて想起することで、それにたどりつくための今を紡ぎ出す。これが対話的に行われることで、現在の苦しみに対する多声的な理解が生まれます。また、未来が共有されることで対話者同士の関係性が再構築されていきます。

未来から逆算していくのはコーチングとも共通していますし、ブリーフセラピーなど解決志向・未来志向のカウンセリングでも行われていることです。「未来語りのダイアローグ」の場合には、これが対話的に行われる、ということに意味があります。

物語自体を自分で生み出すのではなく、他者から受け取るのでもなく、対話的に紡ぎ出していく。また、未来を起点にしているという点でも、摂食障害の方々が「与えられた過去の物語に囚われて動けなくなる」ということと対照的です。

「誰とともに、いかに語るか」によって、物語はいかようにも変化しえるのでしょう。

 

ちょうど、摂食障害を経て現在はプラスサイズモデルとして活躍するNaoさんの「物語」が昨日公開されていました。

率直な言葉に、本当に心を動かされます。

soar-world.com

とても苦しんだからこそ、Naoさんは本当に優しくて、輝いています。

ぜひ、たくさんの方に読んでほしい記事です。

 

今自分が生きている物語は絶対的な真実ではなく、単に社会によって与えられたものや、自分が決めつけているだけなのかもしれないこと。そしてここから、様々な自分の物語の紡ぎ直し方があるということだけでも、どこか救われる思いがしないでしょうか。

苦しいときに、自分の物語を見つめ直し、語り直すことの意義は、そんなところにあるのだと感じます。

文化人類学から見た「心の病気」のあり方は、そんな視点を与えてくれました。

 

amzn.to

 

 

あけましておめでとうございます

あけまして、おめでとうございます。

昨年はとてもとてもたくさんの方々に支えられて、1年を終えることができました。

心から、ありがとうございました。

 

cotreeというサービス名はもともとは人の心の支えとなるcotree = complement tree (補木)に由来していますが、「コトリ」という音から「小鳥?」と言われることも少なくありません。

 

酉年の今年、小鳥が親鳥に成長するように(早口言葉みたいだ)。

去年よりもたくさんの人の心を支えられる存在になるように。

みんなで、がんばっていきたいと思っています。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。