cotreeがU2plusをお嫁にもらいました
2018年4月1日をもって、オンライン認知行動療法コミュニティ「U2plus」事業を株式会社cotreeが譲受することになりました。
U2plusは、創業者である東藤さんが、ご自身のうつ病の体験をもとに丁寧に産み育ててきたサービス。その思いを、株式会社LITALICOさんが引き継いでいました。
1月初旬に一旦はサービスの閉鎖が発表されたのですが、その後、たくさんのユーザーさんからの惜しむ声が届いたようです。twitterでも。
u2plus サービス終了を知りショックを受けている
— リゲル (@rigel_003) 2018年1月13日
U2plusとてもいいサービスだと思ってたのに、閉鎖残念。うつ病患者には必要なインフラだったように思う。
— サルベージ (@sj_0567) 2018年1月15日
U2plusが閉鎖するとメールが来ていて寂しい気持ち。一番しんどかった時に使っていたのがいつのまにか懐かしい。
— 久保 佳奈子 (@daifuku_nagomi) 2018年1月11日
とても利用者さんに愛されたサービスだったことが伝わってきます。
cotree宛に名指しで「このサービスが大好きすぎて、閉鎖が本当に残念です。cotreeさん、U2plusをもらってあげてくれませんか」という声が聞こえてくるほどでした。わたし自身も、大好きなサービスのひとつだったので、残念に思っていました。
昨日発表された認知行動療法サービスのU2plusの閉鎖、とても寂しい。いいサービスだったし、ユーザーさんからも愛されていたし。
— 櫻本真理 | cotree (@marisakura) 2018年1月11日
それでもサービスをまわしていくにはお金も愛情も必要だから、思い入れがある人がやるしかないのだと思う。
そして、たくさんのU2plusを愛するユーザーさんの声を受け取って、LITALICOの中の方も動いてくださいました。
意思決定することにそれほど時間はかからず、今後はcotreeが、U2plusを育てていくことになりました。
利用者さんと創業者の東藤さんと引き継いだLITALICOさんみんなに愛されて育ったサービスを、お嫁にもらったような気持ちです。
幸せにします!
みなさま、これからもU2plusとcotreeをどうぞよろしくお願いいたします。
ゆく人くる人
今週はとても濃い一週間でした。
いままでcotreeをずっと支えてくれたエンジニアのおぐらんが、今週火曜日を最後に本来のすみかに戻っていきました。
おぐらんは、私のふわっとした依頼をきちんと現実に落とし込んで、本当に必要なことはなんなのか想像したうえで「それならむしろこっちじゃないですか」と提案してくれて、無茶な仕事も忍耐強く、思いやりを持って、一緒にやり続けてくれました。
その間語りつくせないくらいいろんなことがありました。でもcotreeはおぐらんのおかげでここまでやって来れたなぁ、としみじみします。
最初は少しの期間だけ力を貸してもらうのはずだったところから、なんだかんだと3年以上も一緒にやってもらったことになります。
ようやくcotreeも自分たちだけで前に進んでいける体制になりました。
今週から入ってくれたインターンの上嶋さんも、先月から入ってくれた木村さんも、自分で考えて積極的に提案し、取り組んで、気づきを共有してくれる様子がとても頼もしく。
木村さんが初めて取材して書いてくれた記事が今週完成して、公開したり。
以前から登録してくださっている心理士の矢野さんのcotreeに関する記事が心理臨床学会の学会誌である『心理臨床の広場』に掲載されたり。
コアメンバーでハイセンスな心理士の徳田さんはとてもハイセンスなフリーペーパーでcotreeに対する共感の思いを熱く語ってくれていました。会社の目指していることに共感して、自分の言葉として語ってくれている様子にぐっときます。
相談する文化を広げていきたいという考えに、すごく共感している。…会社の方針と自分がやりたいことがとてもよく一致しているから、そこでしっかりやろうと。
まっすぐな言葉に触れて、改めて大切なことに気付かされます。
ほかのみんなも、落ち込んだり元気になったり風邪ひいたりしながら、朝まで一緒に飲んだり、みんなでジムに行ったり、毎日何時間も議論したり、組織としてはカオスな感じがしつつも前向きで優秀で個性的で愛に溢れていて、
不安を抱えたときには必ずみんなしっかりお互いの話を聴いてくれて、話ができる、本当に安心できる仲間です。
全員で集まった飲み会には、以前手伝ってくれていたふたりも来てくれました。これからも何かあったときには声をかけさせてもらおう。というのは胸に秘めつつ、cotreeに少しでも関わってくれたことを心から感謝しています。
良い出会いが続いて、今週新たにcotreeに関わってくれることが決まった人も何人かいます。これも嬉しい。
このチームで楽しみながらがんばっていくためにも、おぐらんや今まで関わってくれた方々への恩返しの意味でも、cotreeのサービスをこれからももっと良くしていきたいし、会社としても経営者としてもちゃんと成長していきたい、と心底思います。
ちゃんと成長したいという気持ちとできるだろうかという不安は裏腹なのだということを痛感しつつ、このメンバーならきっと大丈夫、と信じられます。
「矛盾と不確実性を超えて現実を生み出すのは、弁証法的移行ではなく、情熱に結び付いた主体的決断である」とキルケゴールが言っていましたが、会社で起こることは不確実性の複合体すぎて、論理的に考えるほど前に進めなくなることもあります。
そうしたときに論理を超えるような情熱を持てるとしたら、「多くの人に価値を届けられたことを、チームのみんなで喜び合うこと」に対してだと感じています。「より良い社会にしたい」というほど壮大なテーマは、遠くにありすぎて情熱を持ち続けることが難しいけれど、一緒に喜ぶチームの輪が広がっていくことには情熱を持つことができます。
最初は会社と自分の人格が一致していたところから、今は会社という人格に移行しつつある時で、揺らぎの中でメンバーには迷惑をかけどおしですが、少しずつ会社としても組織としても育っていっている。それ以上に経営者としてみんなに育ててもらっています。
子育てはしたことないけど、経営と子育てはきっと似ているんだろうな、と。会社が育っていく様子や、会社でできることが増えていくのが嬉しい感じが似ている。それから、きっと子育てを通じて親が育っていく様子とも似ているのだろう、とイメージがわきます。
みんなが、選んで良かったと思える会社にしていきたい。
これからも楽しみです。
おぐらん、3年間ありがとう!
webサービスと依存について
一般的なwebサービスと依存
webサービスというのは、基本的には依存をさせればさせるほど儲かる仕組みになっています。占いにしてもゲームにしても、依存してリピーターになるほど良い顧客になる。だから多くの事業者が「いかに依存させるか」を競っています。
依存させるためには「できるだけ使いやすくする」「サービス利用への障壁を下げる」「また使いたくなる仕掛けをつくる」「心理的報酬を与える」などのように利用者が葛藤することなくサービスを利用するための仕組みづくりを目指すことになります。
会員登録しやすいフローをつくったり、1日1回ログインするとごほうびをあげたり、不安をあおったり、期待させたり、安直な答えのようなものを提供したり。
そういうものが、必要になることもあります。
カウンセリングと依存
一方で、依存的な仕組みづくりは、その人自身の「判断する」「耐える」「乗り越える」力を奪ってしまうことにもなり得ます。これはカウンセリングにおいて価値が置かれる「葛藤耐性を高める」「内省する」「不確実性に耐える」「自立的な人間を目指す」ということは大いに矛盾します。
安易に喜ばせようとすると力を奪ってしまいかねない。喜んでもらわないと使ってもらえない。カウンセリングのwebサービス運営者としての最大の葛藤の抱えどころです。
そんな中、とても勇気付けられたのが本日利用者さんから頂いたこんな声です。
1年間、寄り添い親身になって見守っていただきました。実親との経験で成長できなかった部分を、疑似親として依存し反発し受け入れていただくことで、自分でもわからない内に大きく成長できていた気がします。本当に1年間ありがとうございました。実家に帰るような気分でまた活用させていただく日まで、独り立ちした学生のようにがんばって乗り越えていこうと思います
依存しながら、受け入れてもらうことで成長し、独り立ちしていく。
甘えて、弱さを受け入れてもらうことで勇気付けられて、成長への自信を得る。
最初は依存に見えるものも、そこに溺れさせるのではなく変化のきっかけに変えていく。
こんな価値が、私たちが本当に提供したい価値なんだと、あらためて感じました。より正確には、私たちが「cotreeを通じて」本当に提供したい価値です。
この声の宛先はカウンセラーさんであって、cotreeではありません。でも、cotreeという「場」を通じてこのような価値が生まれていくと良いと思うのです。
webサービスを運営している以上、それをたくさんの人に届けるためにやるべきことはやっていく必要があります。たくさんの人に届けるためには犠牲になるものも出てくるかもしれない。その矛盾の中で、葛藤に耐えながら、本当に大切なものを大切にしていく勇気を持ち続けるのは、けっこう大変なことだなぁと痛感する日々です。
でもいつも原点に立ち戻らせてくれて励ましてくれるのは、サービスを利用してくださった方からの、こうした声であるように感じます。
新生cotree、がんばろう。
オンラインカウンセリングのcotreeはこちらからご利用ください。
近況報告+仲間を募集しています(採用強化中!)
7月になり新しいメンバーも入って、いいチームになりそうだなぁ、とわくわくしています。最近ブログも更新していなかったので、近況報告を兼ねて。
最近はたてつづけにcotreeに関わってくれる方が増えています。「人の心のあり方」に思いを持って関わっている人ばかりなので、とても優しくて、強くて、弱い。お互いの弱さに優しくなれるからこそ、重たい鎧を着なくてもいいんだ、という感じがします。
設立から3年が経ち、オンラインカウンセリングという領域ではどこにも負けないノウハウとデータが蓄積してきました。サービスを利用してくれる方も少しずつ増えて、法人での導入も進んでいます。今までに積み重ねたものを生かして、より多くの人に価値を届けていきたいと気持ちを新たにしています。
そういえばあまり大きな声で言ってなかったのですが、2月に3,000万円の増資も行いました。事業を加速させるため、楽しみながらがんばっています。
今日はいい1日だった!と思える人を増やすため、とても個性豊かな優しいチームで、新しいプロダクトの開発にも取り組んでいます。
一緒に働く仲間を募集していますので、関心のある方はぜひご連絡ください。
募集職種
- UX/UIデザイナー
- エンジニア
- 企画・運営
- 心理職
- サポートスタッフ
週1~フルタイム、業務委託〜正社員まで、フレキシブルに対応可能です。
関心のある方は、sakuramoto@cotree.jp宛にご連絡ください。まずはお話しましょう。
最近お会いできていない方もぜひ気が向いたらご連絡頂けたら嬉しいです!
摂食障害の原因は母親にあるのか
「からだのシューレ」
文化人類学者の磯野真穂先生の「からだのシューレ」に参加してきました。
「シューレ」とはドイツ語で「学校」、古代ギリシャ語で「精神を自由に使う」という意味だそうです。ゆるめの小鳥の絵がかわいい。
摂食障害の原因は母娘の関係性にある、という言説を耳にすることがあります。実際に摂食障害の当事者からも「うちは機能不全家族だったから」といった語りが聴かれることは多いようです。
「それって本当?」と問いかけることから始まります。
摂食障害の原因はどこにあるのか
拒食症は14~16世紀のヨーロッパでは「聖なるもの」として認知されていました。それが、生物学・心理学の普及とともに「生物的な異常」「発達的な異常」「母子関係の不全」に変化し、日本では母親の関わり方に原因があるとする「母原病」として語られるようになりました。
また、日本では「子供の問題行動の原因は小さい頃に母親が一緒にいなかったことにある」という3歳児神話も、厚労省が「無根拠」と発表しているにもかかわらずまことしやかに語り継がれています。
一方、このように語り継がれるのは日本特有の現象で、シンガポールでは摂食障害が母子関係に還元されることはありません。摂食障害の問題はむしろ西洋文化やメディアからの影響の強さとして捉えられ、「母親に原因がある」といった語りはほとんど見られないのです。
この違いを生むのは何か、と考えると、「父親が働き、母親が家で家事をする」という日本特有の経済発展のあり方、文化的背景、政治的な現実が介在していることがわかります。「摂食障害が母原病である」という物語はあくまで文化固有のものののようです。
文化的な物語に自分を押し込める当事者
それにも関わらず、臨床の現場では、摂食障害の当事者は文化のつくりだした「母原病」という物語を自分の物語として語るようになります。誰かに与えられた「自分が摂食障害になったのは、母の愛が足りなかったからだ。」という物語の中に自分を入れ込み、一般的な言説のコピーのような語りが生まれてきます。
そして「物語るために病気を必要としてしまう」というジレンマに陥り、出口のないループに入ってしまう、ということが起こっているようです。その与えられた物語自体が、真実かどうかを疑うこともないままに。
ワークショップの最後に
今を語ることは過去と未来を語ること。
過去を語ることは今と未来を語ること。
未来を語ることは今と過去を語ること。
わたしたちは常に未来への道筋を持って生きていて、それぞれの物語を持っている。病気になると、今までの物語が崩れて、過去と未来を結び直す新たな物語を紡ぐことが必要になる。
その人にとって生きる意味のある物語になるよう、人がつくった物語に乗るのではなく、自分の人生を自分の言葉で語る勇気を持ってほしい。
こんなメッセージを頂きました。
生き方がうまくいかないとき、わたしたちは過去の「原因」を探そうとします。母親に愛されなかったから。自分の能力が足りなかったから。あのときの選択が間違っていたから。そうすることで今の苦しみに理由を与えることはできます。
しかし、その過去の物語は誰かによって与えられた物語かもしれないこと、そしてそれは現在と未来をも語る力を持つということに自覚的でなければいけません。与えられた物語に自分の人生を支配されるのは本当にもったいないことです。
未来語りのダイアローグ
だとしたら物語を語り直すやり方には例えばどんなものがあるんだろう、と考えていて、ふと最近関心が高まっている「未来語りのダイアローグ (anticipation dialogue)」を思い出しました。
未来における望ましい状態ついて想起することで、それにたどりつくための今を紡ぎ出す。これが対話的に行われることで、現在の苦しみに対する多声的な理解が生まれます。また、未来が共有されることで対話者同士の関係性が再構築されていきます。
未来から逆算していくのはコーチングとも共通していますし、ブリーフセラピーなど解決志向・未来志向のカウンセリングでも行われていることです。「未来語りのダイアローグ」の場合には、これが対話的に行われる、ということに意味があります。
物語自体を自分で生み出すのではなく、他者から受け取るのでもなく、対話的に紡ぎ出していく。また、未来を起点にしているという点でも、摂食障害の方々が「与えられた過去の物語に囚われて動けなくなる」ということと対照的です。
「誰とともに、いかに語るか」によって、物語はいかようにも変化しえるのでしょう。
ちょうど、摂食障害を経て現在はプラスサイズモデルとして活躍するNaoさんの「物語」が昨日公開されていました。
率直な言葉に、本当に心を動かされます。
とても苦しんだからこそ、Naoさんは本当に優しくて、輝いています。
ぜひ、たくさんの方に読んでほしい記事です。
今自分が生きている物語は絶対的な真実ではなく、単に社会によって与えられたものや、自分が決めつけているだけなのかもしれないこと。そしてここから、様々な自分の物語の紡ぎ直し方があるということだけでも、どこか救われる思いがしないでしょうか。
苦しいときに、自分の物語を見つめ直し、語り直すことの意義は、そんなところにあるのだと感じます。
文化人類学から見た「心の病気」のあり方は、そんな視点を与えてくれました。
あけましておめでとうございます
あけまして、おめでとうございます。
昨年はとてもとてもたくさんの方々に支えられて、1年を終えることができました。
心から、ありがとうございました。
cotreeというサービス名はもともとは人の心の支えとなるcotree = complement tree (補木)に由来していますが、「コトリ」という音から「小鳥?」と言われることも少なくありません。
酉年の今年、小鳥が親鳥に成長するように(早口言葉みたいだ)。
去年よりもたくさんの人の心を支えられる存在になるように。
みんなで、がんばっていきたいと思っています。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
一鉢千家飯、歩々是道場
一年のおわりにとても素敵な一対のお軸と出会いました。
托鉢僧がお寺から行列して修行に出かける様子と、その後ろ姿。
ひとりひとり違う、少し間の抜けた表情や歩く姿にも遊び心があります。
そこに
「一鉢千家飯」
「歩々是道場」
という禅語が添えられています。
一鉢千家飯。
托鉢僧は一鉢のお椀だけを持って修行に出るけれど、たくさんの家からの恵みを受けながら、「おかげさま」で生かされているということ。
歩々是道場。
どんな状況であっても、いまここで踏みしめる一歩一歩が、心の持ちよう次第では自分自身を高めるための修行の場になるということ。
2016年は思うようにいかないこと、自分の弱さを感じることも多くありましたが、思いがけない出会いや人の優しさに救われ、変化を感じられた年でもありました。
一鉢千家飯、歩々是道場。
それにちょっとした遊び心。
2017年に向けて、羅針盤になりそうなお軸との出会いでした。
今年一年お世話になった皆様、本当にありがとうございました。
来年も、どうぞよろしくお願いいたします。