読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

精神科病院のないイタリアの話

今日はこちらのイベントに伺いました。

 イタリアの事例を参考に、地域生活中心の精神保健のあり方について考えるシンポジウムです。

f:id:mari-sakuramoto:20160306221556p:plain

 

イタリアには精神科病院がないということをこの記事で知り、興味を持っていたところでした。もともとあった精神科病院をなくすという発想自体にも、それがひとつの国で現実に起こったことにも、驚きました。

 

f:id:mari-sakuramoto:20160307003938j:image

この改革はどうやってなしえたのか。

バザーリアという精神科医がまずひとつの地域での実績をつくって、それを国全体の動きに広げていきました。強い意志と信念とリーダーシップを持った人の存在が、社会を動かした事例です。

すでにあった病院を閉鎖するのではなく、新規の建設や入院をなくすことで、20年以上かけて精神病院が減っていったそうです。

 イタリアの改革では、精神科医フランコ・バザーリアが、北イタリアの小さな町、人口20万人のトリエステ県のマニュコミオの解体を始めたことに端を発している。後に「バザーリア改革」と呼ばれるようになった彼の改革は、「右手で病院を解体し、左手で地域ケアをつくる」と言われる改革であり、78年に「180号法」といわれる改革法を成立させ、以後精神科病院の開設は禁止された。彼の改革の中心にある思想はフッサールサルトルからの影響が大きく、「人は自分の狂気と共存でき、人生の主人公として生きることができる」という人間観による信念があった。 (出所:一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター

「人は自分の狂気と共存でき、人生の主人公として生きることができる」

いい言葉です。

悩みを抱えていても、病気であっても、それを抱えた「自分」として生きることはできる。恐れをなして蓋をする必要はなくて、むしろその狂気が人の味わいですらある。こんな風に捉えられるのは、排除や犠牲のうえに成り立つのとは違う、幸せな社会のひとつのかたちなのかもしれません。

つまり他を変えようとしてもこれ(精神病院)があるかぎりは,他がなかなか変わらないわけです.そのことにちゃんと気がついて,法律をつくるところまで持っていったのはイタリアだけなんですよね.

バザーリアはアメリカの脱施設化についても実際に見学に行っていますが,やっぱりそのやり方(精神病院を残したまま)ではだめだとわかった.つまり,病院があるとどうしても病院に依存してしまう.

薬があるとお医者さんの方が薬に依存してしまうのと同じことです.つまり薬を安易に出すことで,別の関係性を模索しないでよくなってしまうのです.

結局,問題があったときに,それをどうするか一緒に関わりながら考えることをやめてしまう.これは別に医者や看護師だけではなくて周りの地域の人も含めてです.みんなで考えるのをやめてこれは専門家に任しておきましょう,精神病院に入れておきましょうとなってしまう.「だって私達の問題ではないですから」と.それは一つの依存の形だと思います

(出所:フランコ・バザーリアとイタリアの精神医療改革

病院を少なくするのではなく、なくすこと。それは今まで病院にいた人たちを、社会の中で受け入れるということでもあります。脱施設化・脱制度化は、施設の外の社会の仕組みとあり方全体を変えていくことです。

施設の外の人たちは、施設や制度があると思うから、依存してしまう。頼るべきものがなくなれば、それぞれがその状況を何とか乗り切るため、最大限の工夫が生まれるんですね。

最初は差別や偏見などの問題もあるけれども、それを補う新しい仕組みが教育や就業の場で出来上がっていく。その様子についても、大変興味深くお聞きしました。

 

シンポジウムでイタリアの精神科の先生が言った

壁は人の頭の中だけにあります

という言葉も印象的でした。

 

「これがないとだめだ」と思っていることも、実際なくなってみればほかのやり方が見つかる。事前にだめな理由を考えすぎて前に進めないよりは、適度に考えたうえで小さくやってみて、だめだったことを変えていくという順番もありますよね。

 

学び多き日々です。