起業家の4類型:特に社会起業家の視点で。
最近、仕事人としてはけっこうなスランプに陥っていました。 というのも「対人援助の本質」に触れる機会があり、私自身の価値観が大きく揺さぶられた時期だったのです。
対人援助の世界では新参者である私が、素晴らしい対人援助のあり方に触れ、「こころの治療」とはこういうものなのだと、今まで持っていた認識を大きく変える(広げる)ことになりました。
もともと、cotreeは私自身が精神科医療を受診した際の経験をもとに「こころのケアってもっと普通に、医療外で、多くの人に届かなければいけない。」という問題意識を持ち「そのためにはインターネットも活用し、もっと効果的で効率的なあり方を探りたい」という思いを抱いたことが原点です。
けれど、効率性を求めるために犠牲にせざるをえないものの重要性みたいなものを知れば知るほどに、葛藤は大きくなっていくわけです。 その葛藤を言語化したのが前回のブログです。がっつり葛藤していますね。
私の場合は、課題解決のために「良き(正しい、効率的な、効果的な)サービスをつくりたい」という思いがあったので、知らなかった真実を知れば知るほど「良さ(正しさ)」が移り変わってしまうジレンマを抱えていました。自分の視点が広がり、価値観が変化すると「このサービスはこのやり方で良いんだろうか?」と悩んだりします。
こういうことを考え始めると、まぁ日常の仕事は進みません。
ソーシャルベンチャーあるある①:会社=社長の創業期
ベンチャー創業期、サービスが小さな時期は、会社=サービス=社長であることが多いように思います。会社やサービスに社長の価値観や個性が大きく反映されるし、コンセプトをつくるのもサービスを売りにいくのも社長です。いつしか会社のアイデンティティ=社長のアイデンティティになってしまうのかもしれません。
特に社会起業家の場合は、社長が抱えた問題意識をきっかけに、社会問題を解決するのだ!という強い意志を持ってサービスを立ち上げていることが多く、会社そのものが社長のライフワークになっていくのですよね。
でもそうすると、事業が進む中で自分の価値観が揺らいだときや、もともと設定していた「問題」の見え方が変わっていったときに、会社そのものの方向性が揺らいでしまうことになります。
ソーシャルベンチャーあるある②:問題を解決したい!の罠
また、問題解決型のソーシャルベンチャーは、「問題」ばかりを見て、取りうる選択肢が狭まって八方塞がりになってしまう、ということも起こります。
「問題」というのは明確な実態を持たないことが多く、定義付けによっていかようにも変化し、解決しても解決しても形を変えて出てくることが多いのです。
私が今までにお会いした先輩NPOやソーシャルベンチャーの経営者にも「当初サービスを始めたときに見えていた課題が当初思っていた全体像と異なっていた」ということをきっかけに、停滞したことがあると語っておられた方が何人もいます。ある人はサービスの方向修正を行い、ある人は葛藤を抱えたままサービスを運営しておられました。
事業運営の中でのふたつの軸
どちらが良いということはないのですが、上記のあるあるは、起業をするうえで持つべきふたつの軸のヒントになるように思います。
自己のニーズー他者のニーズの軸
ひとつは、会社=社長を切り離すのか、切り離さないのか。 もっと言えば、ソーシャルビジネスの場合は「自分がやりたいこと=会社がやること」、営利企業の場合は「自分の利害=会社の利害」にしておくのかどうか。
自分の価値観に沿って会社を運営するという選択をして、会社=社長を維持するのであれば、自分がやりたいことをやりたい方法でやり続けられます。一方で、個人レベルの変化に対応する柔軟性を保つために小さな組織であらざるを得ない、という壁にぶつかります。
それに対し、会社と社長を切り離し、他者視点にシフトすることで、自分の変化に揺さぶられない、より安定した、大きな組織を目指すことができます。
現在の問題ー実現したい未来の軸
もうひとつは、「今ここにある問題」に視点を持つのか、「実現すべき未来」からの視点を持つのか。
「問題を解決しよう」と思うと、目の前の乗り越えなくてもいい壁に気を取られて、実現したい未来への近道が見えなくなってしまうことが多いようです。もしかしたら、実現したい未来が実現しない理由は、その問題の存在が理由ではないのかもしれない、という可能性に鈍感になります。方法論に囚われてしまうことも多い。
一方、未来からの視点で見ることで、同じ未来を 実現するための、複数の道筋が見えてきます。
特に「自分の」「問題意識」を起点とする社会起業家の場合、この2軸の壁に、遅かれ早かれぶつかるケースは多いのではないかと思います。
このときが、「自分が」どんな「問題を解決したい」のか?ではなく、どんな「未来を実現する」のが「必要とされている」のか?という観点から役割を再構成する時期なのかもしれません。
視点の2つの軸と起業家の4類型
このことについて考えていたら、なんかいい感じでグラフができました。
これによると、起業家のタイプは4種類に分けられます。
① 自己愛型起業家(自分の欲求x現在の課題)
今自分が持っている問題意識を、自分のやりたい方法で解決したいタイプ。個人的な劣等感や満たされない感が原動力になる「もっと認められたい」「今の仕事が苦しい」だけでなく「この社会的問題を『自分が』解決したい」というのも含まれます。問題が社会的問題解決の体裁をとっているときにはわかりにくいのですが、NPOとかソーシャルベンチャーは結構な確率でこの領域でとどまっているのかもしれないと感じます。自己満足の領域。
② 自己実現型起業家(自分の欲求x実現すべき未来)
自分がもっと成長したり、裕福になったり、なりたい自分のイメージに近づくためにがんばるタイプ。営利企業には多いパターン。
③ 課題解決型起業家(社会の必要性x現在の課題)
社会が抱えている課題を解決する必要があるから、その課題のために「自分がどうしたいか」を切り離してがんばるタイプ。良きNPOやソーシャルベンチャーに多いパターン。
④ 未来実現型起業家(社会の必要性x実現すべき未来)
他者視点のニーズを基礎にして、未来視点で行動を決定する。社会的に大きなことを成し遂げるのは、営利も社会派もこの領域のひとたちです。多分。
ちなみに、大切なことは、他者視点と自己視点は必ずしも対立するものではなく、他者視点を持っているうちに、それが内在化されて自己視点になっていくことが多い、ということです。つまり、結果的には他者視点と自己視点が一致してくる。逆に、自己視点に囚われているうちは、なかなか他者視点になっていかないんだと思う。
同様に、実現したい未来を目指しているうちに、問題は重要性を失っていく、ということも起こります。…多分。
こんな感じで考えていくと、私が抱いていた、良き(正しい)サービスをつくりたい、というのは利他的な意図のように見えて、実は自己視点だったということに気づきます。自分が力になりたい人たちに、希望を生み出せるサービスをつくる。とてもシンプルなことですが、日々の業務の中で忘れないようにしたいことです。
ちなみに本質的なことを考えはじめると仕事は進まなくなります。
さて。仕事しよう。
カウンセリングは、基本は対面で。
と心から思います。
オンラインカウンセリングサービスを運営する身でありながら身も蓋もなくてあれですが、もうこれは全力で主張したい。カウンセリングを受けたいと思うなら、信頼できる専門家と、対面でじっくりと課題と向き合って、無二の信頼関係の中で少しずつ癒しと変化を得ていくのが何よりも素晴らしい、人生を豊かにする体験になると思います。
ここは、私自身もサービスを運営しながらものすごく葛藤を抱えるところでもあります。
私なぞが語るのは憚られるほどに、本来の内省的な心理療法は奥深いものであり、人間同士の「いまここ」での彩り豊かなこころのふれあいであり、効率や方法論を超えたものであると考えています。
「カウンセリングは、基本は対面で」と全力で主張したうえで、今の日本のカウンセリング業界の現実を見ます。
①良き専門家の不足
心理療法を本来の豊かなやり方で提供できる専門家が多く育っておらず、上述のレベルの心理療法ができる心理療法家の数が非常に限られている。その理由としては、市場規模の小ささを背景にした適切・十分なトレーニングの不足、教育制度上の問題、資格制度上の問題が挙げられます。結果として、本当に良き心理療法家にアクセスできる人は絶対数として少ないのです。
②経済的なハードルの高さ
良き心理療法の価格が非常に高い。理由としては、カウンセリングルームの稼働率の低さや保険制度上の課題が挙げられます。
③判断基準と情報の不足
良き心理療法とそうでないものとの判断基準や情報の不在。理由としては、心理療法は密室で行われるために評価が顕在化しづらいこと、明確な評価基準が存在しないこと、心理療法自体が多様な世界観に基づいていること。結果としてせっかくカウンセリングを探しても「いまいちなカウンセラー」に出会ってしまう確率も非常に高い。
要は、今の日本で良きカウンセラーに対面で出会うことがいかに大変か、ということです。
そして、仮に全員が良きカウンセラーや精神科医に対面で出会えるくらいに供給と情報が十分であったとしても、本当にカウンセリングを必要としている人は、エネルギーレベルが落ちていたり忙しかったりして、対面のカウンセリングを気軽に使えるような状況にないことが多いわけです。(ブログを始めたときにも詳しく書いたことです。)
だから、その供給側の制約、需要側のニーズを満たす存在として、オンラインカウンセリングが担うことができる役割がある、というのが我々の考えです。
オンラインカウンセリングとか怪しいけど、エビデンスあるの?
上述のような課題を克服するためにじゃぁインターネット活用してオンラインでやるとする。でもそれって、エビデンスあるの?というのが問題になります。カウンセラーは言語情報だけでなく五感(六感すら)をつかって利用者のことを感じ取っているのであって、インターネット上で、言葉だけでできることは限られてるでしょ、というのはおそらく臨床に携わるカウンセラーであれば突っ込みたくなるところだと思います。
でも。
エビデンスは、あります。(言いたかった)
私の個人的な見解が入らないよう、こちらの書籍からの引用です。
エビデンスにもとづくカウンセリング効果の研究―クライアントにとって何が最も役に立つのか
非言語的なコミュニケーションが治療同盟を形成し強化することにおいて最も重要な要因の1つであると認められている(Bedi et al., 2005)ことを前提とするならば、対面式でないセラピー的介入は、実効性においてきわめて限定的であろうと推察される。しかし、近年電話やインターネットを使ったセラピーへの関心が高まっているのは、こういったコミュニケーション方式が、いくつかの明確な利点を持つことが認識されつつあることにもよる。その明確な利点とは、例えば遠隔地に住んでいたり、移動に関わる問題があったり、セラピー的サービスのコストを低減したり、さらにより迅速な援助を提供しうることなどである(Leach and Christensen, 2006)。加えて、研究は多くのクライアントが電話やインターネットによるセラピー形態にとても満足していることを示唆しており、対面式のアプローチと比較して治療同盟を豊かに形成できないということを示すような明確なエビデンスもない(例えば、Barak et al., 2008)事実、人はコンピュータを介したコミュニケーションにより、個人的な情報を実際に開示しやすくなることを示すエビデンスもある(Mallen, 2003)
実効性という観点からみると、増え続けている多くの研究は、主に非対面式のやりとりに基づくセラピープログラムは高い有効性を示すことができ、対面式治療と大差ない結果をあげていることを示している(例えば、Barak et al., 2008; Leach and Christensen, 2006 )(中略)研究は、多くのクライエントが電話やインターネットによるセラピー形態にとても満足していることを示唆している。ウェブを活用したセラピープログラム(最小限のセラピー的コンタクトを含むものもあれば、含まないものもある)も広範な心理的問題に有効であることを示しており、とりわけパニック障害と不安障害に大きな効果量を示していた(Barak et al., 2008)。(中略)効果量は対面セラピーを受けたクライエントにわずかに劣るものの、全体的に大きな違いはなく、双方のアプローチとも満足度はほぼ同水準にあった。
(中略)対面式のアプローチと比較して治療同盟を豊かに形成できないことを示唆する明確なエビデンスはない(Barak et al.,2008)。増え続けている多くの研究は、非対面様式のセラピープログラムは高い有効性をもたらすことができ、対面式治療と大差ない結果をあげていることを示している(Barak et al.,2008; Leach and Christensen,2006)。
オンラインカウンセリングの効果を示すエビデンスは、探すとほかにもいっぱいあります。
本当のことを言えば私は、対面の良き心理療法が提供することができるものは、エビデンスで示しえないことのほうが多いと思っています。良き心理療法がもたらすものは、恐らく抑うつ度指数の数値上の変化では計れないものです。数字では計れないけれど、人生をはるかに豊かにするものであるように思います。
それでも今の世の中、エビデンスという「共通言語」で示し得るものはとても大切です。カウンセリングは対人援助である以上、相対する相談者が大切にしている価値観に沿ったサービスを提供しようとするならば、効率性や、目に見える効果や、経済合理性といった価値観や世界観に沿ったカウンセリングのあり方を模索する、ということもひとつの価値の産みだし方であるとも思うのです。
くどい?
いやもうわかった、オンラインカウンセリングがいいし必要なのはわかったよくどいよ、しかも葛藤っぷりが前面に出てて対面がいいのかオンラインがいいのかわかりづらいよ、というリスナーもいるかもしれません(いないか)。
でも、なぜこの記事をあえてまわりくどく書いたかというと、神田橋條治先生の「治療のこころ」シリーズを読み直して、これはもう、心理療法に「効率」とか「方法論」とか「パターン」みたいな考え方を持ち込むこと自体が愚かであるような、本当にすいませんでしたと叫びながら顔を覆って逃げ出したくなるようなそんな気持ちになって、オンラインでは実現できない「治療のこころ」的な世界観を現実にする心理療法にもっとアクセスできる世の中になったらいいのに、と心から願う一方で、そことは少し違う世界観を持つ「オンラインカウンセリング」の存在意義について、改めて整理したい、と感じたからです。
そして改めて、
・オンラインカウンセリングは、効率性とか、経済合理性とか、目に見える治療成果を大事にするという価値観・世界観の中で極めて意義のある方法論であること。
・cotreeが目指しているのは、そのオンラインカウンセリングの可能性を最大化するための最適化された方法を全力で探っていくことであること。
・対面のカウンセリングにしか実現できない価値が(たくさん)あること。でも、オンラインでしか実現できない価値も(たくさん)あること。
・オンラインか対面かは、あまり本質的な議論ではなくて、それぞれの可能性と限界を把握したうえで、適切な方法で使うことのほうが大切であること。
という認識のもと、より多くのユーザーに対して、ユーザーが大切にしている価値を届けるべく、粛々とサービス改善を続けていきたいという決意を新たにするとともに、より多くの専門家の理解を頂けたら良いなぁ、と考えています。
オンラインカウンセリングのcotreeはこちらからご利用ください。
Morning Pitchに登壇させて頂きました
今日はMorning Pitchに登壇させて頂きました。
朝6:40集合で新宿の高層ビルの46階です。早い。けど緊張のせいか眠くありません。
窓から見える景色がきれいです。スカイツリーも遠くに。早起きしてよかった。
Morning Pitchは「ベンチャーと大企業との事業連携を生み出す」ためのプラットフォームで、大企業の方を中心に100人以上の方がお越しになっていました。
cotreeでは現在、企業向けのサービス提供を準備中なので、健康経営に対する意識を高く持っておられる企業様や、メンタルヘルス関連の新規事業に関心をお持ちの企業様に向けてcotreeのサービスについてお伝えでき、とても有意義な時間でした。鋭い質問もたくさん頂き、企業内でのメンタルヘルスに関する関心の高さを再認識しました。
今日はヘルスケア特集で、登壇者は5名。「性病」「妊活」「薬」「老人ホーム」などのバラエティに富んだメンバー。リアルにはなかなか顕在化しづらい課題について、インターネットを活用することで新しい市場をつくっていくようなサービスが多かったです。課題感を共有できる、楽しい経営者ばかりでした。
両側の赤いパーカーを着たトーマツのおふたりとは事前に何度も打ち合わせして、より効果的に伝えるためのアドバイスを頂きました。おかげでスッキリとプレゼンできました。本当に感謝です。
我々のように社会貢献と資本主義のはざまで「本当に儲かるの?儲ける気あるの?」と言われがちなベンチャーをやっていると、心折れそうなことも多いのですが、そんなとき、こうして支えてくださる方々がいるからがんばれている気がします。
ちなみに「儲かるの?」は公私ともに本当によく聞かれる質問です。よっぽど儲からなさそうなんだろうな。笑
現実問題、儲けることを第一義には置いていませんが、その視点を無視しているわけではありません。その分葛藤は多いですが。
でもそんな中で「儲かっても、儲からなくても、道なき道を進んでるベンチャーが好きだから応援するよ!」と言ってくれる方々がいます。そういう方々と将来的にいろんな喜びを共有できるように、長期的な目線でいいサービスをつくりたいなぁ、と思うわけです。
「儲かるかどうか」はまたどこかのタイミングでブログに書こう。
今日はブログっぽいというか日記っぽいブログですね。
たまにはこういうのも。
人は明日を生きている
cotreeをつかってくれる(訪れてくれる)ユーザーさんの数の推移には結構波があります。
具体的に言うと
・曜日では、月曜日が一番多い
・週後半に向けて少しずつアクセスが減る
・金曜日と土曜日が底で、日曜日の夕方くらいから増えてくる
・時間帯では、夜10-12時くらいが一番多い
cotreeは落ち込んだときやなんとなく不調なときに使ってもらいたいサービスなので、逆に言えばcotreeを使ってくれる人が多い日というのは、落ち込んでいる人が多い日でもあります。ちゃんとは分析してないですが、天気とかも関係してそうです。
この件についてメンバー(エンジニア)とチャットしていたら、こんな感じで分析してくれました。
【僕なりに過去からデータで見る推測できる人間の気分と行動(簡易版)】
月曜日:曜日の中で一番やる気がでない曜日(ノイズが大きい)
火曜日:月曜日から変わり、気持ちも変わってくるため、やる気が出始める(月曜日乗り切った感満載)
水曜日:週の真ん中なのでリフレッシュする余裕が出る(見直すタイミングがでる)
木曜日:水曜日に見なおしたはずなのに、なぜか疲れていて思うようにいかない(あれ、金曜日じゃないのかという錯覚)
金曜日:頭のなかは休みモードに突入して、「やらなければいけない」を一番嫌う(リラックスしたい)
土曜日:明日も休みというのが頭にあるため、最もリラックスする曜日でできれば他のことはしたくない(自分の好きなことをしていたい)
日曜日:一日の中での気分の落差が激しい。夜になると明日のことからで恐怖でいっぱい。(サザエさんシンドローム)
おお、おお、そうだねそうだね!そしてもうひとりの慢性的寝不足エンジニアと、目の前のto do に囚われる私の浅ましさが際立つ深イイ一言。
「ここで共通して出てくる要素って「明日」なんですよね。
興味深いのは僕も含めて人間は無意識に明日を基準にして生きているのかな?ということ。」
深イイ。。。
日曜日の夜は、人は日曜日の夜を生きていないんですね。
明日への不安や期待を生きているんですね。
ほんまや。。。
と感慨深く感じたので、ちょこっと調べてみたら
気になりませんか?曜日別のアクセス数,土日は少なく平日は多い? - NAVER まとめ
一般的なwebサイトとそんなに傾向は変わりませんでした。笑
でも、振れ幅は他のサイトより大きいと思う。たぶん。
こんなことを言いつつ、このサービスをやっていると、「人とは」「心とは」と考える機会にあふれています。
cotreeは、心に関して一緒に考えを深めてくれるエンジニアさん、デザイナーさん、臨床心理士さん、ライターさん、編集者さん、サポートスタッフを募集しています。興味のある方は
info@cotree.jp
までご連絡をお待ちしています。
※追記:その後教えて頂いたのですが、自殺の統計を見ても、月曜日の自殺が多く、特に男性でその傾向が顕著だそうです。明日の仕事への憂鬱が引き金になるのかもしれません。
平成15年の1日平均自殺死亡数を死亡曜日別にみると、「月曜日」は男80.7人、女27.3人と最も多くなっており、「土曜日」は男53.5人、女21.2人と少なくなっている。
死亡時間が確認できるものについて死亡時間別にみると、男は「0時台」「5時台~6時台」が多くなっており、女は「5時台~6時台」「10時台~12時台」が多くなっている。一方、男女ともに「1時台~2時台」「7時台~9時台」「19時台~21時台」は比較的少なくなっている。
ことばに意味を与えるもの
先日、講演をさせて頂いた際の会場にペッパーくんがいました。
「ロボどっち?」という楽しげなメニューを選択すると「このあとオナラをするのはどっち?」という唐突な質問?クイズ?挑戦?をされ、今すぐにでもオナラをしそうな、機嫌が悪そうで腹巻をしたおじさんと、笑顔できれいなおねえさんのイラスト。
まぁ普通に考えておじさんだろう、と素直に選択すると答えは
おねえさんのほうだった。。ペッパーくんの表情も小憎らしいです。
からかわれているのか、人は見かけで判断しちゃいけないよ、おねえさんだっておならをするんだよ、というメッセージなのか。もやっとします。
人は「意外なこと」に対してあれやこれやと想像を巡らせます。
これがスマホのアプリだった場合と、ペッパーくんだった場合と、人だった場合では、多分もやもや度合いが全然違います。
スマホだったら「つまらん、意味わからん」となるのかもしれませんが、ペッパーくんだから「ちょっと深い理由があるのかも、なんか人の反応見てるのかも」となるし、生身の人間がこのなぞなぞ出してきて説明せずに立ち去ったら、「何か裏があるに違いない、自分に見えていない事実はなんだろう、この人は私に何を伝えようとしてるんだろう」とかいろいろ想像したりするんだと思います。
意図のない対話
そんな中で、最近知り合った方と、「文通」をさせて頂く機会がありました。
「文通」と言っても、便箋と封筒ではなくメールでのやりとりなのですが、これを「文通」と呼んだのは、特に目的のないことばのやりとりだったからです。
その文通は「これってこういうことなんでしょうねぇ」という雑感的なメッセージから始まったのですが、特に方向性のない言葉を投げかけられると、「この言葉には本当はどんな意図があるんだろう」とか勘ぐったりするわけです。
でも、次第にその方のことばにそれほど意図がないということに気づき、警戒が解けていきます。
評価も目的もない対話の中で、伝えることへの安心感が生まれ、普段であれば他人に伝えないであろう言葉や思いつきも、その方に「伝えても良い」と感じるようになりました。相手のことばに対して思いを巡らせ、自分の中に出てきた言葉をまた表現する。「説得しよう」「議論しよう」「良く見せよう」のどれでもないので、テーマも発散していくことができます。
そして、その発散した対話の中で、今まで自分自身が意識化していなかった思い込みや囚われのようなものが自然と浮かび上がってきて、勝手にその囚われから解放される、という思いもよらない体験をしました。そこには「解放しよう」という意図は、相手にも自分にも全くなかったのに、です。
「意図がなければならない」という病み
今思えば、証券会社でアナリストとして働いていた頃は、「結論は?」「ロジックは?」「目的は?」というのが常でした。会社の決算数値が出るなりプリントアウトして、上司のところに持って行くと即座に「株価へのインプリケーションは?」と聞かれます。その1-2分の間にできるだけ数字をインプットして、何らかの結論のようなものに辿り着いておく必要があります。投資判断は「どっちでもない」では役に立たないので「買い」なのか「売り」なのかを明確にする必要があったのです。
証券アナリストに限らず、今社会で働いている方は目的や結論を持って考えることが善とされていることが多いはずです。
こういう生活を繰り返していると、自然と「結論は?」「目的は?」という思考パターンが癖になっていきます。AなのかBなのか、と言いたくなる。癖なので、自分がそういう癖を持っていることにも気づきません。
人は「質問」には「答え」で。「主張」には「評価」で応えようとしてしまう習性があります。それが思考の幅を狭めてしまう。
でも逆に「意図がない」「決めなくていい」からこそ、可能になる思考があるのですよね。その思考が生み出すものもあります。「学び」はそこから生まれます。
文脈と意図と想像力が生み出す「意味」
ペッパーくんや文通の件を振り返って。
言葉は単体で意味を持つのではなくて、ペッパーくんが言うのか、先生が言うのか。ビルの屋上で対話するのか、森の中で対話するのか。意図を汲み取るのか、意図がない場で自由に対話するのか。置かれた文脈の中でどんな想像が働くのか、というところから意味が生まれていくということに気づきます。
その観点で、書籍や記事などの一方向の情報提供も個別化された「文脈」に欠けるため、人の想像力に働きかけることが難しいのです。単なる「情報」「言葉」で人に変化をもたらせるほどの意味を生み出せることは多くありません。
同様に人のカウンセリングとAI(人工知能)によるカウンセリングは、ことばのやりとりが全く同じであったとしても、人に与えるインパクトが全く違うはずです。ことばを受け取るときに、人が生み出す文脈とAIが生み出す文脈は異なるからです。また、人が生み出す文脈であっても、そこにどんな意図が存在するかによって意味は異なります。
cotreeのサービスは主にことばが力を持つサービスです。特にメッセージで相談するパートナー・プログラムは「カウンセラーとの文通」とも言えます。そこではことばの使い方はもちろんですが、文脈の生み出し方と意図の持ち方がとても大切になります。
文脈を受け取り、意味を生み出すのは個々の想像力です。人が良い想像力を持って、気づきを得られるような対話を生むために、インターネット上でどんな仕組みをつくっていくのか、想像を巡らせる日々です。
久しぶりに風邪をひいた結果
始めたばかりのブログ、一週間に一度くらいの更新を目標にしていたら、一週間は本当にあっという間に過ぎてしまいます。
というのも、この三連休は久しぶりの高熱でダウンしてしまい、ほとんど何もできずに過ぎていきました。こんなときに限って家には誰もいなくて、食べるものもアイスクリームくらいしかなく一人で熱と戦う、という三連休+1日。
たかだか風邪ごときでも、一人でひくのはとてもしんどくて、無駄にfacebookでつぶやきたくなったりして「お大事にね」「ごはん作りに行ってあげようか」と言ってもらえるだけでほっと救われるような感覚がありました。
風邪ごときは何日かたてば治るし、大したことにはならないことがわかっているわけです。けれど、うつ病とか、統合失調症とか、発達障害とか、心に関わることは、自分の体と心が思うようにならない状態がどれくらい続いていくのかわからない、それが最大の苦しみなのだと思います。
だからこそ、医療のように病気と直接向き合う「治療」の場はもちろんのこと「支える」場がとても大切なのだ、と感じます。身近な人が理解してくれることや差し伸べてくれる優しさが、ときには医療以上に力になる場があるのだなぁ、と。
例えば支える側を支援するLight Ringさんとか、同じ悩みを共有できるうつ病当事者SNSのU2plusも、「理解され」「支えられる」という体験につながります。
その他にも挙げればきりがない、尊敬すべき友人たちや先生方が取り組んでいるたくさんの活動もサービスも、医療も福祉も対面のカウンセリングもオンラインカウンセリングも、すべてがそれぞれの役割を果たしながらひとつの有機的なつながりになってサポートネットワークが形成されて、必要なサービスにきちんとアクセスできる世界になったらめっちゃいい!
という「実現したい未来」のイメージがむくむくと湧いてきて、風邪ひいてよかった。まずは、cotreeが今できることを、誠実にやっていきたいと思います。失敗は反省して、未熟なところは学習して、未来に生かしていけるように、がんばります。
あれ。こんなキャラだったかな。熱でキャラ変わったかな。
『別件逮捕』されてきた話
幸福研究をしておられる慶応大学の前野隆司先生が年末にされていたお話がとても印象に残っています。
地域活性の文脈で「町を元気にしましょう!」と言って町おこしイベントを企画しても、参加するのはもともと意識の高い方たちだけです。
同様に、「幸せになりましょう!」と言って幸福理論に基づいた『ハッピーワークショップ』を開催しても、集まってくるのはすでに幸せな人ばかりなんですよね。本当にワークショップを提供したい人はなかなか集まってこない。
その人たちに届けるためには、何か別の目的を掲げた、言わば別件逮捕が必要なんです。
本来の目的をそのまま伝えるのでは、なかなか人は一歩踏み出してくれないことがある。そのひとたちが関心を持ちそうな別の目的を伝えることで、まず一歩踏み出してもらい、結果として本来の目的を達成する、ということです。
この「別件逮捕」という言葉の妙に、ストンと腑に落ちる感覚がありました。
早速、別件逮捕されてきました
そんなわけで、というわけでもないのですが、偶然にも早速別件逮捕される機会があったので、なるほど、こういうことかと思った話です。
昨日「思いを描き、夢を描き、未来を創造するワークショップ」に参加してきました。というのも、私の大好きな友人が、以前参加して魅力的だったそのワークショップにもう一度参加するからと誘ってくれたためです。そこには、経営者や活動家を含む、素敵な方々がたくさん参加しておられました。
まずはアーティストの作品を鑑賞し、解釈には個性と多様性があること、表現には正解がないことを感じた後、自分の作品づくりに入ります。
共通の作品テーマは「2016年」。
「2016年」というテーマやその世界観をそれぞれが具体的に言語化し、そこから黙々と小さな色画用紙にテーマに沿った絵を描いていきます。描くこと自体は絵心のなさや不器用さが邪魔してなかなか思うようにいかないわけですが、それでも書いているうちにふと感情が浮かんできたり、そのパーツが象徴する物語が浮かんできたりします。
私のテーマは「信じる」でした。(右から三番目の緑のが私の作品です)
最初に書いた「個」を表現するはずのたくさんの丸を見ながら「境目を持つ」ことへの違和感を強く感じ、いろんな色を重ねているうちに、そもそもの紙の色と同じ緑色に戻って、またその上から描いていく。でも馴染みすぎてしまうと個性が失われてしまうことに気づきまた色を重ねていく。
そんなプロセスに、今自分のまわりで起こっていることを重ねたりしながら、ひとつの作品が出来上がっていきます。作品が出来上がる頃には、人からは見えないその制作過程の中で起こった葛藤や不安、そしてそれが変化していく様子を含めて「ひとつの作品」として自分で受け入れられるようになっていったように感じます。
個人的には「自分の内面を絵で表現する」というよりも「絵」の中に見えたものをきっかけに自分の内面を言語化する、という感覚でした。
ギャラリーのような空間で、アートを鑑賞して解釈をしてみたり、テーマを決めて絵を「描く」ことを通じて、他の参加者の感覚を共有したり、相対的に自分の解釈を見つめたりする体験はとても非日常的で気づきにあふれ、大いなる満足感とともに作品を持ち帰りました。
心理療法との接点
さて、ここでやっていたことは、
- 内面を表現することを通じて
- 内面の言語化と、対話、解釈を可能にし
- 普段の生活の中では得にくい気づきを得る
というプロセスです。
心理療法家の方はすでにピンときていると思うのですが、これは、箱庭療法に代表される「表現療法」と言われる手法と本質的には同じものです。
しかし、本質的には表現療法と共通していたとしても「表現療法を受けてみましょう!」という伝え方をしてたら、それほど多くの人が積極的には参加していなかったはずです。何よりも「友達を誘って参加しよう!」という気持ちにはならないでしょう。
今回参加したワークショップはもともとは子供向けに開催されていたものが、むしろ大人が関心を持ちはじめ、たくさんの企業研修や経営者研修で取り入れられるようになったのだそうです。それくらいに今のビジネスマンには表現する機会や、内省して対話するという機会がないということなのかもしれません。
これは、カウンセリングを提供している方が「もっとカウンセリングを気軽に受けて欲しいよね」と感じるときに想定している「潜在ニーズ」であるとも言えます(潜在ニーズという言葉は良くないですが)。
「幸せになりたい」の裏側の「幸せでない自分」の語感
この事業をやっていて感じるのは「カウンセリング」という言葉にどうも抵抗感がある、という方はとても多いということです。
- 幸せになる
- 悩みを解決する
- カウンセリング
どの言葉も、どこか「今の自分の弱さ」の語感を含むから、というのがその抵抗感の理由だと思っています。
自分の弱い部分を受け入れられずにいるときには「弱い自分」「不幸な自分」「悩んでいる自分」を前提とした行動というのは取り難いものです。「弱い部分」を受け入れることができれば、その弱さを補完する行動をとることができます。一方で「弱さ」を受け入れられずにいると、いつまでも問題帰属がずれたまま、的外れの問題解決行動を取り続けてしまうのです。
「地域活性」に参加するためには「うちの地元、このままじゃやばい!」という危機感が必要です。
「ハッピーワークショップ」に参加するためには「今の幸せに改善の余地がある」という客観的な自己認識が必要になります。
「未来を創造するワークショップです」という伝え方や目的設定をするから、経営者を始めとする利用者層が関心を持ち、参加しようという気持ちになる。結果として「自分の弱さ」を客観視できていたか否かに関わらず、内省し、その自分を受け入れるという効果を得ることができる。
さらに参加して得るものがあれば、友達にすすめてみようという気持ちになる。
いかに「見せ方」「目的設定」が大切なのか、改めて考えさせられます。