営業とカウンセリングの共通点

資金調達とかをすぐに考えているわけではないのですが、うちみたいな会社にも金融機関の方が営業やヒアリングに来てくださったりします。

最近は若くてかわいらしい女性の営業さんが多くて、普段黙々と仕事をしている分そういう方が来ると、同じオフィスで働いている仲間のテンションが謎に上がったりします。私自身も以前金融にいたこともあり、そんな営業さんが来るとなんとなく妹を見ているような(いないけど 営業もしたことないけど)気持ちになってつい普段しない雑談がしたくなったり、老婆心が生まれたりするのです。

ちょっとお菓子を出したくなったりとか、いつもより多めにしゃべったりとか、いつもより多めに聴いたりとか、ちょっとしたことなんですが。

そんな営業さんに、ひととおり事業についてお話をしたあと、お菓子を食べながらカウンセリングについていろいろと話していて、私たちがカウンセラーとしっかり面談をしてから登録して頂いている、という話になったとき、

良いカウンセラーってどんなカウンセラーなんですか?

と言われたので

カウンセリングは相手がある仕事だから、単純に良いと悪いに分かれるわけではないよ。営業と同じように、いい商品を売ってても相手がそれを必要としてないこともあるし、人間としての相性もあるし、お客さんの抱えている課題をどれくらい理解できるかとか、お客さんの特性や状態に依存するところも大きい。

 

誰にでも何でも売れる営業がなかなかいないように、誰にでも「良い」カウンセラーはめったにいなくて、万能なカウンセラーを探すのは難しい。でも、カウンセリングを必要としている人はたくさんいるわけだから、万能なカウンセラーばっかり探していては必要な人に十分には届かない。

 

だからこそ、ちゃんと得意分野をマッチングすることが大事だと思っている。『この製品であればちゃんと売れる』『こういう人にであればちゃんと売れる』というカウンセラーを、『この製品を求めているこういうお客さん』とマッチングするのが、cotreeの役割のひとつだと思っている。

 

ただ、営業にも共通すると思うけど『ちゃんと相手のことを思える人かどうか、相手の立場で考えられる人かどうか、愛せる人かどうか』というのは根本的に重要な要素だと思うから、ここは得意分野と言える経験と実績があって、ちゃんと人を愛せるカウンセラーを採用するようにしているよ。

 と答えて、これはちゃんと知ってもらいたいことだなぁ、と思ったので久しぶりにブログを更新しました。

かわいい子が大好きな人は、かわいい営業さんが来たらテンションが上がるし、几帳面な人は、几帳面な営業さんが安心だろうし、同じような経験をしたことがある営業さんには共感して感情移入できるし、人の心に触れる仕事である以上、そういった「人間」としての要素と、営業やカウンセラーの「良さ」を切り離すことはできません。

オンラインカウンセリングだからこそ、そんな個性のマッチングが、幅広い選択肢から可能になるという点は、とても誇りを持っています。

 

ブログはさぼっていますが、cotreeはがんばっています。

cotreeでは、相手のことを思える営業さんも募集中です!(営業に来てという意味ではなく、一緒に働きましょうという意味で!)

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※写真はいつだったかアンパンマンミュージアムにひとりで行ったときの写真です。ペコちゃんがアンパンマンにおいしそうな目線を向けている感ところが気に入っています。

より良く生きるためのカウンセリングと幸福タイプ診断

「カウンセリング」と「病気」の関係

カウンセリングって病気の人が受けるイメージがある。

と言われることが多いのですが、カウンセリングと病気は本来関係ありません。

カウンセリングと病気の関係をものすごく単純化すると、こういう感じなのではないかと。

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つまり

・カウンセリングは、より主観的に幸せを感じられるような変化を目指す。(「幸せ」の定義はいろいろあると思いますが、ここでは単純化・抽象化して「より良く生きる」というイメージで。)

・病気かどうかと、幸せかどうかは本質的には別の軸である。

・でも、メンタルの病気では、「感情」「思考」「行動」という日常生活の幸福感につながる要素と密接に結びついているために、「病気かどうか(健康度)」と「幸せかどうか(幸福度)」は連動しやすい。

・メンタルの病気での健康度と幸福度の関係性については、「病気になる→幸せを感じられなくなる」という順序もあるけれど、「幸せを感じられなくなる(生きづらい)→病気になる」という順序もあるため、「病気が治る→幸せになる」わけではなくて、病気が治ってももともと持っていた生きづらさが残ることもある。

・だから、メンタルの病気になると、医療とカウンセリングが両方必要なときも多い。医療の中にカウンセリングが含まれることもあります。その印象が強くて、カウンセリングは病気の人が受けるもの、という認識を持たれがち。

というのが、病気とカウンセリングの関係性のわかりづらさかな、と思います。

 よりよく生きるためのカウンセリング

本来、カウンセリングは、「病気を治す」ためではなく「より良く生きる」ことを目的としていることが多いものです。(もちろん「より良く生きる」ために健康度の回復が必要なときには、思考や行動・生活習慣の変容をテーマとして扱うことで、健康度が回復することもあります。)

「より良く生きる」ための道のりを一人で歩いていると、同じところを行ったり来たりしてしまったり、つまづいてしまったりすることがあります。そのときに、専門家との対話を通じて、見えていなかったことを見えるようになり、成長すること。成長することで、新しい思考や行動の選択肢が増えることが、カウンセリングが果たす役割と言えます。

カウンセリングを受けることは、健康か病気かにかかわらず、より良く生きるために自身の課題と前向きに、主体的に向き合うための、ひとつの選択肢であるとも言えるのです。

そして、より良く生きるための方法は多様です。自分ひとりでは得づらい気づきを得て、考え方や行動を変えるきっかけとなる方法は、カウンセリングだけではありません。

幸福タイプ診断をリリースしました! 

そんなわけで、慶応大学システムデザインマネジメント研究科の前野隆司先生と、その奥様で同研究科研究生の前野マドカさんの監修のもと、幸福タイプ診断テストとワークを開発しました。

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ご夫婦で幸福研究だなんて…なんて幸福なご夫婦なんだ。。

 

前野先生の研究によれば、幸福感と関係のある因子は4つに集約されます。

第1因子 「やってみよう!」因子(自己実現と成長の因子)

・コンピテンス/社会の要請/個人的成長自己実現

第2因子 「ありがとう!」因子(つながりと感謝の因子)

・人を喜ばせる/愛情/感謝/親切

第3因子 「なんとかなる!」因子(まえむきと楽観の因子)

・楽観性/気持ちの切り替え/積極的な他者関係/自己受容

第4因子 「あなたらしく!」因子(独立とマイペースの因子)

・社会的比較のなさ/制約の知覚のなさ自己概念の明確傾向/最大効果の追求

 詳しくはこちらの書籍を参照

 

この幸福タイプ診断では、この4つの因子のうち、自分はどこが強いのか、どこが弱いのか、を明確にしてくれます。自分にはどの要素が足りないのか?ということに気づくだけでも、考え方や行動を変えられるきっかけにできることもあります。

 

会員登録すると、あなたの「幸福タイプ」に合ったワークが配信されます。ぜひぜひ受けてみて、感想を聞かせて頂けると嬉しいです!

 

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オンラインカウンセリングのcotreeはこちらからご利用ください。

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「ふるさと」のおすそ分け

cotreeのユーザーさんの中には、海外在住の方がかなりの割合でいらっしゃいます。

海外の小さな日本人コミュニティの中で、身近な人には話せない悩みや不調を相談する相手として、cotreeのカウンセリングをご利用くださっています。このあたりは、対面援助が届かない方に援助を届けることができるという、オンラインだからこその価値だと思っています。

さらに言えば、実はカウンセラーさんの中にも、海外在住の方が数名いらっしゃいます。資格を持って実践経験もあるけど、ご主人の仕事の関係で海外在住とか。育休中のカウンセラーさんなども含め、通常の仕組みでは活躍しづらいカウンセラーさんの価値を発揮してお仕事をして頂けることも、オンラインだからこそです。

今日は、そんな海外在住のカウンセラーさんが一時帰国中とのことで、短い時間ながら一緒にランチを。サービスの現状、課題などをお話しする一方で、カウンセラーさんとしてのcotreeへのご意見やご提案を伺うこともできました。

まだまだ成長途上で、日々変化していくサービスに寄り添ってご意見をくださって、サービスを一緒に良くしていこうとしてくださるカウンセラーさんたちには本当に感謝しています。お会いしてお話しする中で改めて、関わってくださるカウンセラーさんの得るものがもっと大きいサービスにしていきたい、という思いが強まります。

そんな思いでいると、帰りがけにカウンセラーさんのホームであるアメリカ版GODIVAを頂きました。自由の女神とカウボーイとゴールデンゲートブリッジのイラスト。アメリカにカウボーイって今もいるんだろうか。

嬉しい。

 

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ランチをした同じカフェで、そのまま次の打ち合わせを。

先日のブログを見て「対面でないカウンセリングの可能性について学びたい」とご連絡を下さった学生さんです。

学生さんとは思えないほどに広い視野とご自身のスタンスを持った方で、未来に希望を抱かせる出会いでした。

そして彼女のふるさとである、浜松名産のうなぎパイを頂きました。夜のお菓子。…夜のお菓子?

…嬉しい。

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今日は、そのほかにも多様な打ち合わせが続きましたが、小さいながらも新しい事業をやっていると、日々、様々な「ふるさと」をお持ちの方と対話する機会を頂くことができ、その中で自分は何を知っていたのか、何を知らなかったのか、世界の広さや深さに気づかされます。

ふるさとのおすそ分けを頂きながら、サービスも自分自身も成長させてもらっている感覚が果てしないです。

少なくとも、受け取っている分くらいは。願わくばそれより多く、社会に対して価値を返したい、という、ささやかな希望が、自分のエネルギーの源泉になっている感じがしています。

 はぁ、おいしい。

精神科病院のないイタリアの話

今日はこちらのイベントに伺いました。

 イタリアの事例を参考に、地域生活中心の精神保健のあり方について考えるシンポジウムです。

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イタリアには精神科病院がないということをこの記事で知り、興味を持っていたところでした。もともとあった精神科病院をなくすという発想自体にも、それがひとつの国で現実に起こったことにも、驚きました。

 

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この改革はどうやってなしえたのか。

バザーリアという精神科医がまずひとつの地域での実績をつくって、それを国全体の動きに広げていきました。強い意志と信念とリーダーシップを持った人の存在が、社会を動かした事例です。

すでにあった病院を閉鎖するのではなく、新規の建設や入院をなくすことで、20年以上かけて精神病院が減っていったそうです。

 イタリアの改革では、精神科医フランコ・バザーリアが、北イタリアの小さな町、人口20万人のトリエステ県のマニュコミオの解体を始めたことに端を発している。後に「バザーリア改革」と呼ばれるようになった彼の改革は、「右手で病院を解体し、左手で地域ケアをつくる」と言われる改革であり、78年に「180号法」といわれる改革法を成立させ、以後精神科病院の開設は禁止された。彼の改革の中心にある思想はフッサールサルトルからの影響が大きく、「人は自分の狂気と共存でき、人生の主人公として生きることができる」という人間観による信念があった。 (出所:一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター

「人は自分の狂気と共存でき、人生の主人公として生きることができる」

いい言葉です。

悩みを抱えていても、病気であっても、それを抱えた「自分」として生きることはできる。恐れをなして蓋をする必要はなくて、むしろその狂気が人の味わいですらある。こんな風に捉えられるのは、排除や犠牲のうえに成り立つのとは違う、幸せな社会のひとつのかたちなのかもしれません。

つまり他を変えようとしてもこれ(精神病院)があるかぎりは,他がなかなか変わらないわけです.そのことにちゃんと気がついて,法律をつくるところまで持っていったのはイタリアだけなんですよね.

バザーリアはアメリカの脱施設化についても実際に見学に行っていますが,やっぱりそのやり方(精神病院を残したまま)ではだめだとわかった.つまり,病院があるとどうしても病院に依存してしまう.

薬があるとお医者さんの方が薬に依存してしまうのと同じことです.つまり薬を安易に出すことで,別の関係性を模索しないでよくなってしまうのです.

結局,問題があったときに,それをどうするか一緒に関わりながら考えることをやめてしまう.これは別に医者や看護師だけではなくて周りの地域の人も含めてです.みんなで考えるのをやめてこれは専門家に任しておきましょう,精神病院に入れておきましょうとなってしまう.「だって私達の問題ではないですから」と.それは一つの依存の形だと思います

(出所:フランコ・バザーリアとイタリアの精神医療改革

病院を少なくするのではなく、なくすこと。それは今まで病院にいた人たちを、社会の中で受け入れるということでもあります。脱施設化・脱制度化は、施設の外の社会の仕組みとあり方全体を変えていくことです。

施設の外の人たちは、施設や制度があると思うから、依存してしまう。頼るべきものがなくなれば、それぞれがその状況を何とか乗り切るため、最大限の工夫が生まれるんですね。

最初は差別や偏見などの問題もあるけれども、それを補う新しい仕組みが教育や就業の場で出来上がっていく。その様子についても、大変興味深くお聞きしました。

 

シンポジウムでイタリアの精神科の先生が言った

壁は人の頭の中だけにあります

という言葉も印象的でした。

 

「これがないとだめだ」と思っていることも、実際なくなってみればほかのやり方が見つかる。事前にだめな理由を考えすぎて前に進めないよりは、適度に考えたうえで小さくやってみて、だめだったことを変えていくという順番もありますよね。

 

学び多き日々です。

 

複雑化する社会と、地域包括医療と、メンタルヘルスケア

最近内田樹先生が、こんなことをつぶやいておられました。

  

ことたくさんの人を巻き込んだ仕組みづくりとかの話になると、個人レベルの細かいことを無視して「共通言語」を重視せざるを得ないので「単純化」せざるをえません。

価値aを持ってるAさんと、価値aと価値bを持ってるBさんと、価値cを持ってるCさんがいるときに、共通言語として価値aが社会的な価値軸として定められると、Aさんはありのままでいいけど、Bさんは価値bは社会的に認められづらくなるので価値bに沿った活動は減っていき、価値a寄りに変化する。Cさんは、自分の価値が社会的に認められないので、生きづらくなって、結局価値aに迎合せざるをえなくなる。ここでいう価値aは、今の社会で言うならば当然、資本主義の共通言語である「貨幣」と自然科学の共通言語である「エビデンス重視」です。

でもそれって、むしろ社会として「退化」してるよね(価値aを重視した結果、せっかく生まれた価値bや価値cなどの多様性が衰退してしまう)、複雑になることを選んでいかないと、社会として成長しないよね、という話のようです。退化とか進化とかの概念はともかくとして、少なくとも今までの社会では、この単純化の論理が働くことが多かった。

というのを前提に、最近はどんどん進んでいる社会の複雑化の事例の話。

学会で感じた「地域包括医療・ケア」の実態

先日とある学会にお邪魔した際のひとつのテーマとして、「地域包括医療」が盛り上がっていました。最近よく耳にする地域包括医療は、定義上はこんな感じ。

  地域包括医療・ケア(システム)とは

・ 地域に包括医療・ケアを、社会的要因を配慮しつつ継続して実践し、住民が住み慣れた場所で安心して生活出来るようにそのQOLの向上をめざすもの
・ 包括医療・ケアとは、治療(キュア)のみならず保健サービス(健康づくり)、在宅ケア、リハビリテーション、福祉・介護サービスのすべてを包含するもので、施設ケアと在宅ケアとの連携及び住民参加のもとに、地域ぐるみの生活・ノーマライゼーションを視野に入れた全人的医療・ケア
・換言すれば保健(予防)・医療・介護・福祉と生活の連携(システム)である
・ 地域とは単なるAreaではなく、Communityを指す

 (出所:全国国民健康保険診療施設協議会

なるほど、わかったようなわからないような。「結局どういうこと?」と言いたくなります。そんな気持ちで学会の発表を聞いていたところ、複数の登壇者のこんな発言。

「地域包括ケアは、それぞれに定まった定義はないくらいふわっとしている」
「地域包括ケアシステムは謎である」
「我々も地域包括ケアのどこに位置するんだかわからない」

 

ふわふわ… 謎… わからない…

誰もよくわかってない…!!

 

ということがよくわかりました。

というよりは、地域包括ケアは大事な考え方で、実現していかなければならない、ということははっきりしているんだけど、その全体像や方法論は説明しづらい。

ちなみに厚生労働省によれば

地域包括ケアシステムは、保険者である市町村や都道府県が、地域の自主性や主体性に基づき、地域の特性に応じて作り上げていくことが必要です。

つまり、地域の特性に応じて「最適な地域包括ケアシステム」のあり方が異なるので、「で、結局どういうこと?」という単純な理解がしづらい構造がある、ということです。ちなみに概念図がこちらです。

 

 地域包括医療の概念図(出所:全国国民健康保険診療施設協議会

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…複雑。

従来型の医療は「医師」が「患者」を治す、という二者関係のシンプルな構造でした。それが、その仕組みではどうもお金・人といったリソースが足りそうにないし、個別化したニーズを満たすこともできそうにない、となったときに「地域包括医療・ケア」という動きが生まれます。そして地域包括医療、となると、方法論や当事者が増えて、価値軸が増えて、人口とか関係性とか資源とかの変数も増えます。

今までの画一的な医療のあり方から、地域医療にシフトしていくというのは、近代社会の中で単純化した枠組みを「再・複雑化」させていくことでもあります。だから、単純化した仕組みをつくるよりも難しいし、つかみどころがなくて、「単純化」のプロセスよりも時間とエネルギーが必要なのでしょう。

全員にわかるように絶対的価値に基づいた定型を「定義」するよりも先に、モデルケースをいくつもつくっていく。そして自分のところに近いモデルケースを、それぞれが工夫しながらあてはめていく。その中には試行錯誤が必須で、間違えたり、失敗したりしながら、少しずつ複雑なエコシステムが育っていくのだと思います。

メンタルヘルスケアの世界の単純化と複雑化

心理療法の世界も、社会の単純化の流れとともに変化してきました。

一対一の関係性や個別の物語を重要視した、ある意味非効率で複雑な力動的心理療法から、エビデンスプロトコルを重要視し、相対的には効率的で単純化可能な認知行動療法へ、というこの数十年でのシフトはその象徴的な流れだったのだろうと思います。

cotreeはインターネットを活用したオンラインカウンセリングのサービスですが、一見すると今まで1対1の複雑な人間同士のつながりであったものをデジタル化するような、「心のケアを単純化する」という世界観に基づいているように見えるかもしれません。

まずは単純化した世界観をオンラインで再現する、という目下の課題も確かにあるのですが、将来的に目指すところは、心のケアの「再・複雑化」なのかもしれません。

今までにも「テクノロジーでできることはテクノロジーで代替する、その分、人にしかできないことを人が存分にできるような仕組みづくりをする」という言い方をしてきましたが、これって新しい技術や知見の蓄積や効率的な方法論の採用によって、一度単純化した心のケアを、再度複雑化することを可能にする、ということなのかな、と再認識しました。

つまり、限られた資源の中でも単純化されない個々人に最適なケアを、ひとりひとりの相談者に届けていく、というのが、cotreeが思い描く「いつか実現したい未来」でもあります。

自分たちだけで実現できるとも思っていないし、そんな壮大な絵を語るのが憚られるくらいにまだまだ小さな一歩を踏み出したにすぎないですし、cotreeがその複雑化した未来の中の一翼を担えるといいなぁ、くらいの感じではありますが、そのために今何ができるんだっけ、という試行錯誤と、地道で小さくて単純な作業に向き合う毎日です。

あんまりこんな抽象的なことを考えても、現実としてできることは限られているのですが。

社会の中でcotreeが果たす役割はなんだろう、という考え事の言語化として。

そして、一緒に試行錯誤してくれる仲間(cotreeのメンバーとしても、広く業界の仲間も)を募集しています。cotreeのメンバーとしては、今は特に、心理職の方を募集しています。ぜひご連絡ください-> sakuramoto@cotree.jp

起業家の4類型:特に社会起業家の視点で。

最近、仕事人としてはけっこうなスランプに陥っていました。 というのも「対人援助の本質」に触れる機会があり、私自身の価値観が大きく揺さぶられた時期だったのです。

対人援助の世界では新参者である私が、素晴らしい対人援助のあり方に触れ、「こころの治療」とはこういうものなのだと、今まで持っていた認識を大きく変える(広げる)ことになりました。

もともと、cotreeは私自身が精神科医療を受診した際の経験をもとに「こころのケアってもっと普通に、医療外で、多くの人に届かなければいけない。」という問題意識を持ち「そのためにはインターネットも活用し、もっと効果的で効率的なあり方を探りたい」という思いを抱いたことが原点です。

けれど、効率性を求めるために犠牲にせざるをえないものの重要性みたいなものを知れば知るほどに、葛藤は大きくなっていくわけです。 その葛藤を言語化したのが前回のブログです。がっつり葛藤していますね。

私の場合は、課題解決のために「良き(正しい、効率的な、効果的な)サービスをつくりたい」という思いがあったので、知らなかった真実を知れば知るほど「良さ(正しさ)」が移り変わってしまうジレンマを抱えていました。自分の視点が広がり、価値観が変化すると「このサービスはこのやり方で良いんだろうか?」と悩んだりします。

こういうことを考え始めると、まぁ日常の仕事は進みません。

ソーシャルベンチャーあるある①:会社=社長の創業期

ベンチャー創業期、サービスが小さな時期は、会社=サービス=社長であることが多いように思います。会社やサービスに社長の価値観や個性が大きく反映されるし、コンセプトをつくるのもサービスを売りにいくのも社長です。いつしか会社のアイデンティティ=社長のアイデンティティになってしまうのかもしれません。

特に社会起業家の場合は、社長が抱えた問題意識をきっかけに、社会問題を解決するのだ!という強い意志を持ってサービスを立ち上げていることが多く、会社そのものが社長のライフワークになっていくのですよね。

でもそうすると、事業が進む中で自分の価値観が揺らいだときや、もともと設定していた「問題」の見え方が変わっていったときに、会社そのものの方向性が揺らいでしまうことになります。

ソーシャルベンチャーあるある②:問題を解決したい!の罠

また、問題解決型のソーシャルベンチャーは、「問題」ばかりを見て、取りうる選択肢が狭まって八方塞がりになってしまう、ということも起こります。

「問題」というのは明確な実態を持たないことが多く、定義付けによっていかようにも変化し、解決しても解決しても形を変えて出てくることが多いのです。

私が今までにお会いした先輩NPOやソーシャルベンチャーの経営者にも「当初サービスを始めたときに見えていた課題が当初思っていた全体像と異なっていた」ということをきっかけに、停滞したことがあると語っておられた方が何人もいます。ある人はサービスの方向修正を行い、ある人は葛藤を抱えたままサービスを運営しておられました。 

事業運営の中でのふたつの軸

どちらが良いということはないのですが、上記のあるあるは、起業をするうえで持つべきふたつの軸のヒントになるように思います。

自己のニーズー他者のニーズの軸

ひとつは、会社=社長を切り離すのか、切り離さないのか。 もっと言えば、ソーシャルビジネスの場合は「自分がやりたいこと=会社がやること」、営利企業の場合は「自分の利害=会社の利害」にしておくのかどうか。

自分の価値観に沿って会社を運営するという選択をして、会社=社長を維持するのであれば、自分がやりたいことをやりたい方法でやり続けられます。一方で、個人レベルの変化に対応する柔軟性を保つために小さな組織であらざるを得ない、という壁にぶつかります。

それに対し、会社と社長を切り離し、他者視点にシフトすることで、自分の変化に揺さぶられない、より安定した、大きな組織を目指すことができます。

現在の問題ー実現したい未来の軸

もうひとつは、「今ここにある問題」に視点を持つのか、「実現すべき未来」からの視点を持つのか。

「問題を解決しよう」と思うと、目の前の乗り越えなくてもいい壁に気を取られて、実現したい未来への近道が見えなくなってしまうことが多いようです。もしかしたら、実現したい未来が実現しない理由は、その問題の存在が理由ではないのかもしれない、という可能性に鈍感になります。方法論に囚われてしまうことも多い。

一方、未来からの視点で見ることで、同じ未来を 実現するための、複数の道筋が見えてきます。

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特に「自分の」「問題意識」を起点とする社会起業家の場合、この2軸の壁に、遅かれ早かれぶつかるケースは多いのではないかと思います。

このときが、「自分が」どんな「問題を解決したい」のか?ではなく、どんな「未来を実現する」のが「必要とされている」のか?という観点から役割を再構成する時期なのかもしれません。

視点の2つの軸と起業家の4類型

このことについて考えていたら、なんかいい感じでグラフができました。

これによると、起業家のタイプは4種類に分けられます。

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① 自己愛型起業家(自分の欲求x現在の課題)

今自分が持っている問題意識を、自分のやりたい方法で解決したいタイプ。個人的な劣等感や満たされない感が原動力になる「もっと認められたい」「今の仕事が苦しい」だけでなく「この社会的問題を『自分が』解決したい」というのも含まれます。問題が社会的問題解決の体裁をとっているときにはわかりにくいのですが、NPOとかソーシャルベンチャーは結構な確率でこの領域でとどまっているのかもしれないと感じます。自己満足の領域。

自己実現型起業家(自分の欲求x実現すべき未来)

自分がもっと成長したり、裕福になったり、なりたい自分のイメージに近づくためにがんばるタイプ。営利企業には多いパターン。

③ 課題解決型起業家(社会の必要性x現在の課題)

社会が抱えている課題を解決する必要があるから、その課題のために「自分がどうしたいか」を切り離してがんばるタイプ。良きNPOやソーシャルベンチャーに多いパターン。

④ 未来実現型起業家(社会の必要性x実現すべき未来)

他者視点のニーズを基礎にして、未来視点で行動を決定する。社会的に大きなことを成し遂げるのは、営利も社会派もこの領域のひとたちです。多分。

ちなみに、大切なことは、他者視点と自己視点は必ずしも対立するものではなく、他者視点を持っているうちに、それが内在化されて自己視点になっていくことが多い、ということです。つまり、結果的には他者視点と自己視点が一致してくる。逆に、自己視点に囚われているうちは、なかなか他者視点になっていかないんだと思う。

同様に、実現したい未来を目指しているうちに、問題は重要性を失っていく、ということも起こります。…多分。

 

こんな感じで考えていくと、私が抱いていた、良き(正しい)サービスをつくりたい、というのは利他的な意図のように見えて、実は自己視点だったということに気づきます。自分が力になりたい人たちに、希望を生み出せるサービスをつくる。とてもシンプルなことですが、日々の業務の中で忘れないようにしたいことです。

 

ちなみに本質的なことを考えはじめると仕事は進まなくなります。

さて。仕事しよう。

 

カウンセリングは、基本は対面で。

と心から思います。

オンラインカウンセリングサービスを運営する身でありながら身も蓋もなくてあれですが、もうこれは全力で主張したい。カウンセリングを受けたいと思うなら、信頼できる専門家と、対面でじっくりと課題と向き合って、無二の信頼関係の中で少しずつ癒しと変化を得ていくのが何よりも素晴らしい、人生を豊かにする体験になると思います。

ここは、私自身もサービスを運営しながらものすごく葛藤を抱えるところでもあります。

私なぞが語るのは憚られるほどに、本来の内省的な心理療法は奥深いものであり、人間同士の「いまここ」での彩り豊かなこころのふれあいであり、効率や方法論を超えたものであると考えています。

「カウンセリングは、基本は対面で」と全力で主張したうえで、今の日本のカウンセリング業界の現実を見ます。

①良き専門家の不足

心理療法を本来の豊かなやり方で提供できる専門家が多く育っておらず、上述のレベルの心理療法ができる心理療法家の数が非常に限られている。その理由としては、市場規模の小ささを背景にした適切・十分なトレーニングの不足、教育制度上の問題、資格制度上の問題が挙げられます。結果として、本当に良き心理療法家にアクセスできる人は絶対数として少ないのです。

②経済的なハードルの高さ

良き心理療法の価格が非常に高い。理由としては、カウンセリングルームの稼働率の低さや保険制度上の課題が挙げられます。

③判断基準と情報の不足

良き心理療法とそうでないものとの判断基準や情報の不在。理由としては、心理療法は密室で行われるために評価が顕在化しづらいこと、明確な評価基準が存在しないこと、心理療法自体が多様な世界観に基づいていること。結果としてせっかくカウンセリングを探しても「いまいちなカウンセラー」に出会ってしまう確率も非常に高い。

要は、今の日本で良きカウンセラーに対面で出会うことがいかに大変か、ということです。

 そして、仮に全員が良きカウンセラーや精神科医に対面で出会えるくらいに供給と情報が十分であったとしても、本当にカウンセリングを必要としている人は、エネルギーレベルが落ちていたり忙しかったりして、対面のカウンセリングを気軽に使えるような状況にないことが多いわけです。(ブログを始めたときにも詳しく書いたことです。)

だから、その供給側の制約、需要側のニーズを満たす存在として、オンラインカウンセリングが担うことができる役割がある、というのが我々の考えです。

オンラインカウンセリングとか怪しいけど、エビデンスあるの?

上述のような課題を克服するためにじゃぁインターネット活用してオンラインでやるとする。でもそれって、エビデンスあるの?というのが問題になります。カウンセラーは言語情報だけでなく五感(六感すら)をつかって利用者のことを感じ取っているのであって、インターネット上で、言葉だけでできることは限られてるでしょ、というのはおそらく臨床に携わるカウンセラーであれば突っ込みたくなるところだと思います。

でも。

エビデンスは、あります。(言いたかった)

私の個人的な見解が入らないよう、こちらの書籍からの引用です。

エビデンスにもとづくカウンセリング効果の研究―クライアントにとって何が最も役に立つのか 

 非言語的なコミュニケーションが治療同盟を形成し強化することにおいて最も重要な要因の1つであると認められている(Bedi et al., 2005)ことを前提とするならば、対面式でないセラピー的介入は、実効性においてきわめて限定的であろうと推察される。しかし、近年電話やインターネットを使ったセラピーへの関心が高まっているのは、こういったコミュニケーション方式が、いくつかの明確な利点を持つことが認識されつつあることにもよる。その明確な利点とは、例えば遠隔地に住んでいたり、移動に関わる問題があったり、セラピー的サービスのコストを低減したり、さらにより迅速な援助を提供しうることなどである(Leach and Christensen, 2006)。加えて、研究は多くのクライアントが電話やインターネットによるセラピー形態にとても満足していることを示唆しており、対面式のアプローチと比較して治療同盟を豊かに形成できないということを示すような明確なエビデンスもない(例えば、Barak et al., 2008)事実、人はコンピュータを介したコミュニケーションにより、個人的な情報を実際に開示しやすくなることを示すエビデンスもある(Mallen, 2003)
 実効性という観点からみると、増え続けている多くの研究は、主に非対面式のやりとりに基づくセラピープログラムは高い有効性を示すことができ、対面式治療と大差ない結果をあげていることを示している(例えば、Barak et al., 2008; Leach and Christensen, 2006 )(中略)研究は、多くのクライエントが電話やインターネットによるセラピー形態にとても満足していることを示唆している。

 ウェブを活用したセラピープログラム(最小限のセラピー的コンタクトを含むものもあれば、含まないものもある)も広範な心理的問題に有効であることを示しており、とりわけパニック障害と不安障害に大きな効果量を示していた(Barak et al., 2008)。(中略)効果量は対面セラピーを受けたクライエントにわずかに劣るものの、全体的に大きな違いはなく、双方のアプローチとも満足度はほぼ同水準にあった。

 (中略)対面式のアプローチと比較して治療同盟を豊かに形成できないことを示唆する明確なエビデンスはない(Barak et al.,2008)。増え続けている多くの研究は、非対面様式のセラピープログラムは高い有効性をもたらすことができ、対面式治療と大差ない結果をあげていることを示している(Barak et al.,2008; Leach and Christensen,2006)。

オンラインカウンセリングの効果を示すエビデンスは、探すとほかにもいっぱいあります。

本当のことを言えば私は、対面の良き心理療法が提供することができるものは、エビデンスで示しえないことのほうが多いと思っています。良き心理療法がもたらすものは、恐らく抑うつ度指数の数値上の変化では計れないものです。数字では計れないけれど、人生をはるかに豊かにするものであるように思います。

それでも今の世の中、エビデンスという「共通言語」で示し得るものはとても大切です。カウンセリングは対人援助である以上、相対する相談者が大切にしている価値観に沿ったサービスを提供しようとするならば、効率性や、目に見える効果や、経済合理性といった価値観や世界観に沿ったカウンセリングのあり方を模索する、ということもひとつの価値の産みだし方であるとも思うのです。

くどい?

いやもうわかった、オンラインカウンセリングがいいし必要なのはわかったよくどいよ、しかも葛藤っぷりが前面に出てて対面がいいのかオンラインがいいのかわかりづらいよ、というリスナーもいるかもしれません(いないか)。

でも、なぜこの記事をあえてまわりくどく書いたかというと、神田橋條治先生の「治療のこころ」シリーズを読み直して、これはもう、心理療法に「効率」とか「方法論」とか「パターン」みたいな考え方を持ち込むこと自体が愚かであるような、本当にすいませんでしたと叫びながら顔を覆って逃げ出したくなるようなそんな気持ちになって、オンラインでは実現できない「治療のこころ」的な世界観を現実にする心理療法にもっとアクセスできる世の中になったらいいのに、と心から願う一方で、そことは少し違う世界観を持つ「オンラインカウンセリング」の存在意義について、改めて整理したい、と感じたからです。

そして改めて、

・オンラインカウンセリングは、効率性とか、経済合理性とか、目に見える治療成果を大事にするという価値観・世界観の中で極めて意義のある方法論であること。

・cotreeが目指しているのは、そのオンラインカウンセリングの可能性を最大化するための最適化された方法を全力で探っていくことであること。

・対面のカウンセリングにしか実現できない価値が(たくさん)あること。でも、オンラインでしか実現できない価値も(たくさん)あること。

・オンラインか対面かは、あまり本質的な議論ではなくて、それぞれの可能性と限界を把握したうえで、適切な方法で使うことのほうが大切であること。

という認識のもと、より多くのユーザーに対して、ユーザーが大切にしている価値を届けるべく、粛々とサービス改善を続けていきたいという決意を新たにするとともに、より多くの専門家の理解を頂けたら良いなぁ、と考えています。

 

 

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cotree.jp

 

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